久々の再会

2004年8月23日 音楽
きのうの大口スターシップ、非常に楽しいライヴだった。
なんしろ対バンが良かったし、お客さんもなんかいい感じにあたたかくって、主催の中国釣具店のメンバー達に久々に会えたのも嬉しかった。
リハのあと昨日発売されたばかりのがきおやじとは古い繋がりの「三人」の新しいアルバム聴かせてもらって、またそのCDがメッチャ良くって、みんな頑張ってるんだなーと安心したよ。
やつらもさすがにかなり成長していたなぁ。
中釣も前からすごいライヴやってたけど、今回久々に観てまた更に大きな一段上のラインに登った感じがしたよ。
ステージ衣装や振り付けも勿論目を見張るものがあったけど、何より前に行こうとする気迫みたいなモンがバシバシ伝わってきてジーンとしてしまった。
ちょうどがきおやじと同じ時期に同じようにメンバーの脱退でつらい思いを味わっている同志なだけに、アッキューはじめメンバー達の気持ちは痛いほどよくわかる。
ホントにいいメンバーに巡り合えてよかったなぁアッキュー!
俺達もやっと形がまとまってきて、さあこれからっていうところだから負けないようにがんばるぜ!
君らが最左翼をめざすならば俺達は最右翼を目指す。
そんなかんじでジャンルはまったく違うけど底に流れるスタンスはきっと同じものじゃないかと思う。
頑張れ!中釣!そして頑張れ!がきおやじ!!

2ndハニービー

2004年7月31日 音楽
大船ハニービーやってきました。
台風は来るわ月末の金曜でみんな仕事が忙しいわでせっかくのワンマンでほとんどの持ち曲を披露する予定なのに全然人が集まらずどうしようかと思ったけど、それでも無理やり都合つけて来てくれた温かい人たちが何人もいてくれたおかげでなんとか楽しいライヴができました。
どうもありがとう!!本気で愛してます!!
あのハコはそういや今のメンバーがはじめてライヴをした記念すべき場所だったんよね。
まだあれからそんなに時は経っていないけど、なんだかんだかなりの本数のライヴをこなしてきて、やっと3人がまとまってきたというか顔見るだけで色々わかるようになってきたっつーか、とにかく頭で色々考えなくても素直なグルーブ感が出るようになってきた。
最近ステージばかりを詰め込みすぎて練習している時間があまりないのがつらいとこなのだが、今はとにかく本番慣れというかステージ感を掴むことに力を入れていて、その成果かなんとなくだが前よりもみんな気負わずに演奏できるようにはなってきていると思う。
8月、9月とアマチュアバンドにしてはかなりのステージ数が待ち受けているが、ココを乗り切ればバンドとしてだいぶ成長できるのではないかと思っている。
この夏のライヴ活動で俺達のファンになってくれる人が少しでも増えてくれるといいのだが。
なにかきっかけをうまく掴めばいけそうな気がする。
だがそのきっかけが何なのかは皆目見当がつかないので、とにかく言い方は悪いが手当たり次第いろんなライヴをやりまくって何かを掴むしかない。
そしてそのうち千客万来の大入り満員ワンマンコンサートをやってやるというのが当面の目標である。
どうか皆さんその時にはまた無理やり都合つけてでも応援してね!
そのかわり最高のステージを披露することを約束します!!

音楽ごっこ

2004年7月13日 音楽
昨日のひっさびさのリハは新曲「夕立ち哀歌」のアレンジ作業。
いつもながら新しい曲をはじめてメンバーの前に持っていく時には、なんか緊張というか不安というかとにかく浮き足立ってしまうものなんである。
特に今回のように作るのに時間のかかった曲ほどそうなる。
なんせ徹夜2日もして作り上げた曲をメンバーに聴かせて「微妙(汗)」みたいな顔された瞬間に、もうその曲を唄っていく自信がなくなってしまうのである。
こうみえて我輩も意外に繊細なわけよ。
まあ、俺みたいなこういうデリケートなタイプのヴォーカリストのいるバンドをやってる諸君にアドバイスをするなら、奴が新曲持ってきたときには内容がちょっとくらい気に食わなくてもちょっとおおげさに、
「おお!この曲イイジャン!」
「胸にジーンときちまったぜ!」
「おまえは天才だよ!!」
「愛してる・・・(はあと)」
などと嘘でもおべんちゃらでもつかって祭り上げてやると、きっと奴は俄然やる気を出してもっともっといい曲をズバズバ紡ぎ出すことであろう。
今のがきおやじの場合はこのシステムがかなりうまく作用しているのであとの2人は気を使って大変かもしれんが、俺としては非常に気持ちよく素晴らしい唄を作ったような気になれるというわけである。
昨日も俺はまるで天才になったような気で新曲を唄いまくってきたぜ。
たぶん本物の天才というのはこうやって作られていくものなんではないかと思うのだがどうだろうか。
これはBANDの話だけではなく、友情、愛情その他もろもろの人間関係にも言えることで、友情ごっこや愛情ごっこの出来ない奴に本物の友情や愛情がわかるもんかと俺は思うのである。
だから当分俺はこのがきおやじという音楽ごっこを続けていきたい。
それが俺にとって本物の音楽に近づく唯一無二の手段であると信じて。
オーブントースターのなかで焼けていく食パンの気持ちがわかったよ。今までやったライウ゛のなかでもステージ上の体感温度としては最高だったかもしれん。
とにかく昼過ぎの一番熱い時間帯、あの焼け焦げた石のベンチで見てくれていた人達どうもありがとね。
そしてお疲れさまでした。
温度に負けず劣らず熱く唄ったつもりだがどうだったかなぁ?
でも反応はまあまあで少しはがきおやじの存在をアピールできたような気はする。
これからもこうやって地道にやっていこう。
ライヴの模様は二人組の女性写真家たちにすげー本格的なカメラで激写してもらったので、その模様は写真館で近いうちアップさせてもらうとしよう。
その写真みたらわかるが、ホントいい天気だったぜ。
そしてライウ゛が終わった後はビールと某ろぎー氏の差し入れの霧島(黒)一升を開け久々に打ち上がり。
昼呑む酒のいと美味さ。
みんなとたくさん話ができて楽しかったぁ。
全部が終わってみんなの家経由でも家についたのは11時前。
やはりこのくらいの時間に帰れるとホッとする。
いつもは早くても深夜12:00は過ぎるもんなぁ。
フリーコンサートの懐かしい面々にも再会できたし、がきおやじをB.Bストリートに紹介してくれた癒し系シンガー中村まきこチャンとも共演できたし実りのあるイベントになりました。
最後に幹事の野口マストさん。
ホントにご苦労様でした!!
あれだけのイベントを取り仕切るのは大変な苦労です。
あなたのパワーには頭が下がります。
またぜひ声かけてくださいね。
さあ、ここを皮切りに俺達の夏が始まったぜ!
一丁やったろかぃ!!

夕立哀歌

2004年7月2日 音楽
静岡のライヴの帰りに新曲を思いついて以来もう何日も何日も新曲作成のことばっかり考えていて、仕事も家事もパソコンも手につかないありさまではあったのだが、いちばんはじめに浮かんだアイディアをぶっ壊したり、また昔のストックを引っ張り出したりしながらもう昨日も一昨日も完全徹夜でストイックに作曲作業に没頭し、なんと本日やっとこさ新しい曲が完成した。
今回は非常に苦心惨憺したのでまるで、婦女子が十月十日を経て我が子をひり出したような充実感である。
そのタイトルも「夕立哀歌(仮)」
今年の夏の夕暮れ時はこの唄で決まりぢゃ!!
ちなみに歌詞をば。

空を切り裂く稲妻が近づいてきて
焼け焦げたアスファルトは今黒い水鏡に変わる
街を行く人は荷物を頭の上にあげ
人それぞれに屋根の下へと逃げるように走り出した

群れにはぐれた小鳥は必死に羽ばたき
雨のあたらぬビルの陰にそっと身をひそめている
影の消えた街に俺は一人立ち尽くし
ずぶ濡れでポケットの中の手紙を握りしめた

いっそこのまま どこかに消えよう
最後のセリフも 雷鳴に途切れて消えた

夕立が顔を叩く 何も見えないよ
すべてを失くした馬鹿な男を憐れむように
夕立は空が流す銀の涙よ
汚れちまった俺の全部を洗っておくれ・・・

雨はとめどなく冷たい身体を濡らし
泥だらけな心の穢れも溶けてしまいそうなほど
いつかおまえと笑って話せることを
この小さな街のどこかで祈り続けて生きてゆこう

愛は激しき 雷(いかずち)に砕けた
静けさを残して全ては終わって消えた

夕立があがって雲がながれてゆくよ
脆く儚い人の心を憐れむように
夕立は空が流す銀の涙よ
風よどうか俺の涙もさらっておくれ・・・

とまあ、こんなん出ました。
俺には珍しく正統派な歌詞ですが、この唄メロディーがまたいいんよ。
まじで。
早く聴かせたいぜ!!おたのしみにね。。

6月17日の日記

2004年6月17日 音楽
きのうテルのうちで新曲のベースライン作りをやってきた。
この不景気の世の中に少しでもスタジオ代を浮かそうとすれば、新曲を作るときにはある程度の下準備って奴が必要なんである。
ドラムの場合はコード進行というものに左右されないから、あらかた曲が出来上がっていればいきなりスタジオに入っても即興で合わす事が出来るが、ギターやベースはそういうわけにはいかないのでコードだけでも合わせとく必要がある。
まだ曲も全部は完成はしていないのだが、このあいだ静岡凱旋ライヴをやった時の帰り道に車の中でふとひらめいたメロディーなので、きっといいものに仕上がるであろう事は予想に難しくない。
経験上、さあ作るぞと机に向かってる時にはいい案など浮かばないものなんである。こんなふうにふとひらめいたメロディーこそ結構後々残っていくものなのだ。
俺の場合はだいたい詩よりメロディーが先に浮かんでくることが多い。
例外もあるが、たいていはサビの一部以外の詩は後からくっつけていく
いわゆる後詩タイプなので、作業としてはわかりやすく言ったら替え歌を作るときのあのかんじである。
もちろん替え歌とは違って元のメロディーさえもいじって良いわけなんで、そういう意味ではアイディアさえ浮かんでしまえば替え歌よりも作りやすいはずなのであるが、これがまたなかなか思うように進まない。
もともと文学好きを自認している俺のプライドは歌詞にちょっとでも気にくわないところがあると、それを許してはくれないのである(カッチョイイ!)
昨日ベースパターンがだいたい決まったのであとは歌詞だけだ。
ここからが正念場。もっといい唄をつくろう!
なんでじゃあああああ。
どうしてなんじゃああああああ!!!!
この俺の声帯の馬鹿やろー!!スカトロポリスやろーッ!!!
っつーわけで、治ったはずの喉が治ってない!
これがドクターの言っていたステロイド剤による副作用ってやつなのか。それとも、声帯がどうにかなっちゃっててもうこのまま元の平井堅のような美声には戻らないのか!!
いつもへヴィースモーカーでへヴィードリンカーなこの俺様がタバコも大幅に減らし、酒も呑まず、一日中ノドヌールスプレーとカリンの蜂蜜漬けとノド飴とウガイ薬で頑張ってるってのになんでこんな声になっちまってんだよ。
あのレイ・チャールズが死んで霊チャールズになって俺に呪いをかけているのであろうか。
くそう。くやしいぜ。
ヴォーカリストにとって声がでないってのはホント地獄の苦しみなのである。
しかも、このCD発売の大博打の初っぱなだってのに。
あ。そういえば、
ファーストアルバムから、CD出すたびになぜかメンバーが抜けてしまい呪いの噂のあった俺たちは、今回は何が起こるのかと話していたのではなかったか。
それがこのノドなのか。
もうともかく明日にはライヴが控えている。
ノドをあっためて霊チャールズを拝み倒して明日に備えよう。

次こそ・・・

2004年6月10日 音楽
静岡であれだけひどい状況だった俺の喉は、珍しく貰った薬をちゃんと飲み、みんなのアドバイス通り素直にタバコも控えたせいかかなり良くなってきた。
心配させてしまった皆様どうも失礼をばいたしました。
ああ。せめて今くらいの声で唄いたかった。
だが、たった今静岡ケントス10/3(日)っていうのが正式に決定したから、どうかその時には今度こそいつもの状態の歌声を聴きに来てくださいな。
今俺はいろんなオーディションだとかコンテストだとか業界関係者だとかに新しいがきおやじをアピールするためCDを送りまくろうとしているところだ。
いい歳こいてと思われそうではあるが、売れないミュージシャンを脱却するためにはこういう弛まぬ努力が必要不可欠なのである。
そんなことを恥ずかしがるようなプライドは、こちとら少年時代の一発目のステージで曲数が足りなくて「ジョニーBグッド」の日本語バージョンを3回やったときに捨ててるっつーんだよ!
しかし、プロフィールだなんだを書いているとどうしても「年齢」とか
「職業」とかいったあまり公表したくないような欄が必ずあって、「アイドルなんかみーんな年齢詐称してんだからホントのこと書く必要ねーよ」とか思いながらも一応フツーに書いてしまう。
「音楽に年齢なんてカンケーねージャンかよ」的なそういうプライドこそ早く捨てた方が良いのであろうか。
たしかに嘘つこうが騙そうが、なにしろ手段は選ばず成功させるしかないトコに来ている。
ああどうかなんでもいいから何かで引っかかってくれますように(祈)

静岡

2004年6月9日 音楽
はっきりいってちょっと戸惑ってしまうほど好評で、恐縮しております。ミュージシャンとしては完全に失格な喉でしたが、何とか気持ちだけは俺が思うよりもダイレクトにみんなに伝わってくれたみたいで、ほんとに良かった。
新しいCDの方もなかなか良い売上で、買ってくれた皆さんほんとに感謝しています。
あとはとにかく聴いてくれた人たちの意見が聞きたい。
何しろ今のメンバーになって初めての音源だし、いろんな意味で思い入れが詰まっているからどう思ってくれたのかがすごく気になる。
どうか皆さん、感想をBBSに書き込んで下さい。
今回の静岡は初遠征ということもあって修学旅行みたいな気分で、3人の向上のためにはホントいい刺激になったと思う。
夜中に熱く語ったり呑んでアホなことしたり、俺やっぱこういうのが好きだわ。
こういうことを一生涯続けていくためにはもっともっといい音楽を、いいステージを作り上げて、たくさんの人たちに支持されるバンドになるしかない。
どんなに道は険しくとも絶対この山を登り切ってやる!
俺たちを愛してくれる今はまだ数少ない人たちのためにもやらねばならん。
みんなほんとにありがとう!
最後に今回俺の喉をなんとか支えてくれたドクター。
迷惑かけましたが、なんとか成功させることが出来ました。どうもありがとう!!ポストの中に手紙とCDを入れておきます。暇なときにでも聴いてみて下さい!
ということで、収穫いっぱいの静岡遠征終了です。
さあ、ここからが本番だぜ!!

録音後記

2004年5月20日 音楽
やっぱり俺たちって天才なのではないかと思う。
いやまじで。
今回のCDの録音が終わってMIXはまだなのだが、軽くエフェクトかけただけのいわゆるラフMIXの状態でMDに落としてもらったその音源ですら、多分かなりイイ。
ラジオから流れてきたら泣く人が続出すること請け合いだ。
コレで売れなきゃ世の中が悪い。そうに決まっとる。
増してこれからMIXをするのはB.Bストリートが世に誇る凄腕エンジニア”足立壮一郎”その人である。やっぱり”壮”のつく人間には大物が多いぜ。やつなら音源を今の100倍よくしてくれるはず。
ボーナストラックも大爆笑必死の凄いものになる予定だ。
まあジャケの印刷の方は俺の構想がすごすぎて予算をかなりオーバーしてしまいそうな勢いだが、必ず確実に売れるはずなのでそんな小さい事はまったく心配していない。
しかしこの過密スケジュールの中みんな良く頑張った。
録音に携わったメンバーはじめスタッフ、サポーター全員にいつか恩返しするからな!!ありがとう!!
早く出来上がらないかとそわそわしまくってるこの頃。
どうしても早く手に入れたい人は6/6より通信販売の予約を受け付けるのでHPの音源ページより枚数、住所、氏名等必要事項を記入の上メールくれ。まあ、ライヴ会場で手に入れてくれた方が実感があるしホントはいいんだけどね。
手に入れなきゃ絶対損するぜ!!!

THE CHECKERS

2004年5月9日 音楽
チェッカーズが新しいアルバムだかを出す事が、がきおやじ初代サポートベースマン松内段平のカキコミによって判明したのは最近の話だが、解散したはずの奴等がどういった音源を出すのであろうか。
郁弥、尚之、モク、マサハル、祐二、亨は一応解散後もTVその他でチョクチョク活動しているのを知っているが、クロベエについてはずっとその所在さえわからなかった。
最近、舌癌を患っていることをマスコミが報じていたらしいが、そんな時に音源など作れるモンなのか。
そのうち詳しいことはインターネットで調べてみよう。
俺にとって80年代の前半はチェッカーズの音楽と共にあった。
イメージないかもしれないが、俺の音楽性にもチェッカーズは多大なる影響を与えている。
初期の頃のアルバムの中の曲なんて聴き倒して殆ど知っている。
まだ小学生の時、静岡の街中にあったサーカスタウンという小さなライヴハウスに福岡から来たカルコークというロカビリーバンドを見に目一杯背伸びして一人で行った事がある。
このバンドが後のチェッカーズの原型になったと言われている。
静岡の駅ビルにデビューしたてのチェッカーズが来た時も見に行った。
まだ客が少なく最前列で見た。
それから何ヶ月かたって次にチェッカーズが駅ビルにやってきた時には、涙のリクエストが大ブレイクした後で、道を挟んで向かいにある松坂屋の屋上にすら人が一杯で上れなかった。
それを目の当たりにした俺にとって奴等は文字通りアイドルであった。
最近になってよく考えてみたら初期の頃の俺が好きだった曲の作詞作曲は殆ど、売野さんと芹沢さんのコンビが作った曲だという事に気付き、実際音楽的に影響されたのはこの二人だったのかもしれないが、いまだにピンの歌手ではなくバンドスタイルにこだわってしまうのは確実にチェッカーズの影響である。
あんなバンドになりたくてもう十何年もやってるが・・・
♪あ〜あ わかってくれとは言わないが〜そんなに俺がわるいのか〜
ららばいららばい おやすみよ〜!
寝てみます(涙)

青春時代

2004年4月30日 音楽
最近、もっともっと気合を入れて活動しようと心に決めたのはいいのだが、気合が入りすぎて色んな所からの出演のお誘いをどれもこれも「やりますやります!」と受けてしまい、気が付いたら5月のライヴスケジュールは5/1の大船バリバリ伝説兼ストリートライヴを含めると7本というかなり気合の入ったスケジュールになってしまった。
ライヴだけなら7本だろうが8本だろうが普通にこなせると思うのだが、今の俺たちには録音という作業があるのだ。
しかも、6/6の俺の地元「静岡ケントス」までにはなんとか新しい音源を限定何十枚かでも完成させて先行発売しようという、実に突貫工事的な予定なのでもろもろの打ち合わせやらライヴリハやらを考えると夏のツアーにも匹敵するような過密スケジュールになってしまうのである。
しかもペンキ屋の仕事しながらというのだからはっきりいって四六時中気が抜けないのだ。
まさか忙しいからって言って手を抜いた音源なんか売るわけにはいかないので、もちろんすべてを本気の本気でやるしかない。
考えることも多すぎて夜寝る直前までいろいろと考えたりしてるもんだから、なかなか寝付けず、毎日が睡眠不足で体が重い。
しかし、俺たちは今、青春の真っ只中にいるのだ。
随分と遅咲きな青春ではあるが、確かにこれは青春だぜ!
いつまで続くのかわからないが出来得ればどうか俺が老人になるまでずっとこの青春が続いてくれと祈りたい。
男の青春ってのはあきらめたり腐ったりしない限りいつまでも続くもんなんだぜ!!
なんとかロックの神様は俺を見捨てずにいてくれたようだ。
B.Bストリート初ステージは嵐のような天気にもかかわらずトリの俺達のステージまでお客さんはたくさん残っていてくれたし、CDもいい感じに売れてくれたし、みんなからお褒めの言葉をいただき嬉しいやら恥ずかしいやら。
いつもどおりいいとこで歌詞がぶっ飛んだりコードを思い切り間違ったりとミスも多く、おまけに髪は不揃いなインチキ角刈りだったが、気持ちだけは誰にも負けまいと精一杯唄った。
・・・実は今日がきおやじは俺が昼間3つほど作ってきた新しいCDのジャヶット案をライヴ前に楽屋で見てどれがいいか検討したりしていた。
今回はまたゼロからのスタートで出資者も当然なく全部自分達でやるつもりだった。
もちろん貧乏バンドなので前作「鈍者」同様安いCD-Rで我慢するしかなく、もっと金でもありゃもっとイイモノができるのにと俺としては心の中でくやしさを募らせていた。
・・・ライウ゛メニューが終わり、B.Bでは久々のアンコールで「帰り途はきらい」を絶唱。
ステージを降りると、このハコのオーナーでもあり貴重なガキファンの一人でもあるO氏が今日の復活ライヴを見ていて絶賛してくれた。
ライウ゛が終わり新しいCDを作ろうと思っているという話をしているうちに前々作「なさけない」の時のレーベル”いわしのあたまレコード”からもう一度CDをリリースしてみないかという話になった。
彼は同レーベルの主催者でもあるのだ。CDのリリースだけではなくもちろん宣伝活動や大手メジャーへのプレゼンやTV、ラジオ関係なんかへのアプローチもやっている。
俺達としては願ったり叶ったり。
会社がバックにあればプレゼンの仕方もCDのグレードも絶対良くなるはず。
かくして、ニューマキシシングル「ヒーローになりたかった少年の唄」は”いわしのあたまレコード”より発売される運びとなった。
新譜は一部のインディーズショップでもしかしたら手に入るようになるかもしれない。
ロックの神よ、我らに幸運をありがとう!!

新音源への道

2004年4月24日 音楽
新しい音源が早くほしい。
やはりメンバーが変わったのにそのメンバーで演奏した音源がないというのは活動にとってマイナスになる。
お客さんとしてもせっかく気に入ってCD買ったのに演奏してんのが違う人ってのはいただけないし、何よりせっかく作った曲が日の目を見ないまま風化してしまうのはしのびない。
そこできのう緊急会議を開き、新しい音源作りについて話しあった。
新曲「ヒーローになりたかった少年の唄」をメインにしたいということはもう決まっていたので、あとはカップリング曲2〜3曲の決定である。
新しい曲も何曲かあるが、うまくバランスを考えないとならない。
最近結構ミディアムテンポの曲が多いから、うまくやらないとみんな同じような曲に聞こえてしまう恐れがあるのだ。
メジャーのバンドの中にも、どの唄がどれだかわからないほどみんな同じような曲でそれをスタイルだとほざく奴らも多いのだが、サザンやユーミンを見ればわかるようにトップアーティストほどいろんなタイプの曲を自分のものとして唄いこなしている。
トップアーティストを目指す俺たちにとっては迷うところだが、随分話し合って一応曲目は決まったので期待して頂きたい。
あとは録音方法。
テルがエンジニアをやる方向で考えはまとまっていたが、金銭的な面や
、クリックをどうするか、ボーナストラックは入れるのか、バック演奏を一発録りにするのか別録りにするのか等、決めることはたくさんある。
まあ、ほとんどやってみないと判らないという部分が多いので、とにかく近いうちためしにやってみることになった。
今回はなんしろ全部メンバーがやるんだからこれぞ手作りだ。
音のグレードなんぞは大金持ちのメジャーレーベルにでも所属してから死ぬほどこだわれるんだから、今はやっぱり生の息吹を感じさせるような活きのいい音にしたいと思う。
随時録音状況などアップしていくので見守っていてくれ!
・・・そして買ってくれ(涙)
ソウルバンド“スクラッチ”や黒人を交えて本格的なブラックミュージックを聴かすバンド“By”でも有名な近藤将大氏の弾き語りライウ゛はアットホームなダーツバー“アレンジ”で行なわれていた。
妖怪のあとひろピーは忙しそうだったのでテルと二人で行ってみた。
将ちゃんが最近アーティスト宣言してオリジナルを作りだしたということを聞いていたので俺は楽しみにしていたのだ。
激楽しいニュルニュルソックストークとノンジャンルの曲。
サザンやら矢沢の唄まで飛び出した。
彼の声はちょっと日本人とは思えないほど黒い。
よく黒人は骨格がちがうからああいう深い声が出るんだと言うが、してみると彼の骨格も黒人に近いのかもしれんな。
ちょっとハスキーがかったとこがまた俺は好きなんだが、俺と違ってちゃーんとファルセットがきっちり出る。
俺が羨ましいと言うと、俺はそのためにタバコやめたんだと言う。
やっぱりプロ意識がここまでないとダメなんだね。
スクラッチのBASS氏がまじってのリズムマシーンYAMAHAちゃんとのセッションではテルが目ん玉ひん剥いてそのテクをみていたぜ。
途中ミーティングが終わったひろピーが店に入ってきた。
2ステージ目の名曲「スモーキングブギ」の途中いきなり俺をギターに誘う将大氏。
G&Lのシヴいテレキャスターでつたないギターを弾く俺。
終わるとお客さんにがきおやじを紹介してくれて一曲やってくれと言われた。ドラムセットはないが、カホーンというBOX型の打楽器があるのでひろピーはコレで参加。道端にてを披露。
意外にカホーンってうちの音楽性にあうかも。
将ちゃんが戻って2ステージ目の最後は矢沢の唄だ。泣かせるぜ。
ふと時計を見ると11時を回っている。
イカン。今日は酒呑んでもいいようにと電車できたんだ。
終電が近い。
しかしまだ将ちゃんの新曲聴いてねーぞ。
ということで、訳を話して一曲だけ最後にオリジナルをせがむ。
唄いだす将大氏。

・・・・・なんというか、一言で言うと「哀愁」ってやつだねこれは。
最近いろんなことがあったの知ってるだけに更に胸にしみてくる歌声。
やっぱアンタかっこいいよ。
お互い死ぬまで唄い続けようぜ。

急いで電車に乗り込みテルのうちへ。次の日はテルのうちのすぐ近くの現場でペンキ塗りなので泊めてもらうのだ。
結局くだらない話で4時までもりあがり、朝は大寝坊。
朝飯喰ってけというテルのおばあちゃんのやさしい心遣いにも応える時間がなく弁当箱にカレーライスをつめてもらって現場に行った。
太陽が黄色かった。

日曜日(妖怪編)

2004年4月20日 音楽
日曜はテルと二人で桜木町までひろピーの妖怪ライウ゛と将大氏の弾き語りライウ゛に行ってきた。
妖怪プロジェクトのストリートライウ゛は桜木町の駅前の広場でやっていて、俺たちが現場に着くとちょうどはじまる直前。
ふと見ると髭面にハゲズラ、顔にドウランを塗りたくったひろピーが背を丸めて立っていた。
妖怪小豆洗いである。
あとはカッパと雪女と大入道。
みんなバリバリのメイクでメインVOのカッパちゃんに至ってはピンポンパンのカオタンよろしく全身着ぐるみである。
しかもすべて衣裳は手作りというからすごい。
TVのカメラまで来ていてゴールデンウィーク中にはお台場で大道芸のイベントに出演するらしい。
曲はパロディーが中心でジョニー・B・ーグッドのマイナー版みたいなアレンジの曲には腹を抱えて笑ってしまった。
オーディエンスもどんどん増えて最後にはすごい人垣に。
とにかく楽しいライウ゛であった。
明日はその次に行った将ちゃんのライヴの話。
念願の復活ライヴ華やかに終了いたしました。
来てくれたお客さん、スタッフのみなさん、その他がきおやじを気にかけてくれたすべての皆さんに心から御礼申し上げます。
このライヴをきっかけに、俺たち3人は正式に運命共同体となりました。どうもありがとう!そしてこれからよろしく!!
がきおやじ椅子の反応はちょっとイマイチではあったけど、あれは若いお客さんが多かったのでみんなシャイでほんとは「カッコイイーっ!」て思ってたにもかかわらず恥ずかしくて反応できなかったと、そう思うことに決めまして、これからも俺はヤツに腰掛けながらがなり続けていこうと思います。
さて、これからまず一番はじめにやらねばならんことは新しい音源の制作である。
とにかくこの調子に乗っている今の気合が薄れないうちに、旬の音源を録音したい。
もちろんライヴも平行しながらコンスタントにやり、その他ストリート、TV、ラジオ、プロダクションへのプレゼンとやることは目白押しである。
いまのところ決まっているのは新曲「ヒーローになりたかった少年の唄」をメインにいこうというところまで。
あと2〜3曲入れて前回の「鈍者」のように手売り発売をしようと考えている。
なんと今回のCDの録音エンジニアはなにを隠そう音響学校の専門学生でもあるベースのテル。
いつものようにプロのエンジニアを雇うのとは違って、今回は方向性とか音源のスタンスを100%理解しているメンバーだからこそ出来るようなすごいヤツを作ろうと考えている。
どうか皆さん楽しみにしていておくれ!!

初めて

2004年4月14日 音楽
さあ、とうとう新生がきおやじのライウ゛デビューが秒読みを開始したぜ。
最終チェックもオッケーで、もうあとは本番を待つだけという出来だが、記念すべき初ステージに万全を期すため、あえて本番前日の夜に声は出さず楽器だけのリハをすることまで予定した。
やる気があふれている証拠である。
デビュー戦からかなり長丁場になるから百戦錬磨のひろピーさえ緊張しまくってるぜ。
16日は実は密かに初代がきおやじ椅子の製作発表もかねているので、俺としては練習し抜いた演奏よりも、この椅子についてギャラリーがどう反応するかというところで緊張していたりするのである。
不器用なりにかなり考えて頑張って作ったんよ。
せっかくあんなに頑張ったんだからみんな嘘でも「カッコいいっ!」て言っておくれよ。
あまりに反応が悲惨だったら次のライウ゛からあの椅子使うのをためらってしまいそうでこわい。
せっかくだからぶっ壊れるまでトレードマークとして使いたいのよ。
そういやテルも新しく手に入れたベースでライヴやるの初めてだし、お店も初めてのハコだし今回はマジで「初めて」が多いな。
何によらず「初めて」っつーのが大好きな俺にとってはまさに絶好のシュチエーションなのだ。
初めて俺たちの演奏を聴いてくれるお客さんとの出会いもあるだろう。
そういう人々に「こんなの初めて!」と思わせるようなステージをやってやろうじゃあないですか!
みてろよ!!

alc.グルーヴ

2004年3月30日 音楽
昨日のリハはホントに熱いリハだった。
復活ライヴに向けての持ち曲全12曲の音取りはもうだいたいOK。
あとはバンドのグルーヴだけだと思っていたのだが、昨日のリハーサルでガツンとくる瞬間が目に見えて増えてることに気付いた。
ライヴ通りの曲順で通しのリハーサルということもあり、3人とも気分はもう本番という感じでやったのでかなり本気の演奏であったことは間違いないが、この分ならもう心配はないと思えた。
前の日にテルとひろピー(これからこう呼んでね)が酒を酌み交わしつつ交友を深めたのがかなり効いている様な気がした。
こりゃ早く俺も交わって一度飲み明かさないとイカンな。
なんしろ、リハーサルはもう随分な数こなしてきているのにもかかわらずまだ一度も3人そろって酒を呑んだことがないのである。
今までこんなことは初めてだ。
これはちょっとがきおやじの沽券にかかわる問題だぜ。
この雨で桜もハラハラ散ってきている。
花がなくなる前に花見兼ミーティングを企画することもメインヴォーカルたる俺のしごとではなかろーか!
ということで、早速企画しようそうしよう。
なんしろがきおやじのガソリンと言ったら酒しかないわけで、ガス欠しないうちにたっぷり燃料補給して、3人の仲がもっともっと深まっていったらきっと最高のグルーヴが出せるに違いないのである。

大船ブレイク

2004年3月23日 音楽
大船イマジンでのライヴはなかなかの盛況のうちに終わった。
初の大のギターもなかなか堂に入ったもので、違和感無く良いステージが出来たのではないかと思う。
お客さん(うちの母親と同い年)がさしいれに毛蟹とウニを持ってきてくれたりしたもんだから普段貧しい食生活に慣れている俺たちときたらもう貪るように北海の味を食べ尽くした。
新曲「ヒーローになりたかった少年の唄」も今回初披露であったがかなり受けが良く、この分なら次の音源のメイン曲に決定しても問題ないと思えた。
ライヴが一通り終わってからマスター氏が「最近大船でおもしろい店を見つけたから是非紹介したい」と言って俺とテルを夜の繁華街に連れ出した。
ちょうど4月16日の大船ハニービーも控えているので、お店の場所確認もかねて夜の街へ。
イマジンから歩いて10分ほどのところにその変わった店はあった。
「バリばり伝説」と看板にかいてあるその店はほんっとに変わった店であんな雰囲気は東京の「あるとべんり」以来である。
へんてこな名前の由来はなんと本場のバリ料理を作る店だからだということらしいが、フツーは案が出た時点で却下だろう・・・。
しかし、ネーミングとは裏腹にバリの有名レストランと業務提携を結んでいる本格的な店であった。
20人も入ればいっぱいの二段ベッドのようなつくりになったフロア。しかもお客さんの半分は外国人。多分米軍関係者であると思われるが、陽気すぎるほど陽気に酔っ払ったやつらのその雰囲気に圧倒された。
しかも、イマジンのマスター氏はその店のマスターに事前の断りも無くいきなりゲリラライヴをやろうというのである。
しかもステージがないどころか狭い店内にはギター持って座れる場所は細い通路くらいしかない。ちょっと冷や汗が出たが、そこはがきおやじ。気合一発。いきなり唄い始めた。
・・・思ってもみなかった拍手と歓声。意外にいい雰囲気じゃないの?
お客さんからチップをもらいもう一曲とせがまれる。
よっしゃここで新曲だ!
新曲がばっちり決まりまた大喝采。またまたチップの嵐。
ホントに最後だと言い放ち「道端にて」を演奏。
お客さんの一人はホントに気にいってくれたらしく、なんと次に出す予定の新曲の入ったCDの代金を先払いして名刺の住所に出来たらすぐ送ってくれという。これで次のCDのメイン曲は決まった。代金もらった以上出さないわけにはいかないぜ。
その店を出たあともマスター氏は違う店に立ち寄りそこでもゲリラライヴをやってかなりアピールできた。
これから大船の路上でライヴをやろうと思っていたのだが、このぶんならお店回りをしながら路上もやれば結構いい宣伝ができそうな気がする。
大船からブレイクっつーのも悪くねーな。

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