カラダとココロ

2002年4月13日
人間の疲れには体の疲れと心の疲れがある。
どっちのほうが大変かっていうのは、その程度にもよるからなんともいえないが、俺がこたえるのは心の疲れのほうだね。
体なんぞは、そうとう疲れてても飯いっぱい喰って、風呂入ってぐっすり眠ればとれちまうもんだが、こと心の疲れとなるとそうはいかない。
飯はのどを通らんし、風呂に入る気力もなく、何より夜も熟睡できない。
今、そんな感じだ。
いろいろなことがあって、ホトホト疲れはてている。
普通の精神状態に戻りたいとせつに思うが、なかなか思うように事が動かないので、いつまでたっても疲れが取れない。
心の疲れってのは伝染性があるようで、俺の周りの誰もかれもが、疲れているような気がする。
ゆっくり、温泉にでもつかって1週間ぐらい休みが欲しい。
なぁんも考えなくていい日が欲しい。
でも、そうはいかないのだ・・・。
毎日毎日、色々な事を考えすぎて頭はずっとパニック気味だし、仕事に追われるだけで疲れた疲れたと言っていた日々が懐かしい。
もう、ぜーんぶ投げ出してしまおうかと何度も思うのだが、そんなことしたら何人のひとに迷惑がかかるのだろうかと思うと、絶対投げ出す事は出来ないのだ。
ああ。誰か助けてくれよ・・・。
それこそ、”なさけない”ぜ(苦笑)
ははは・・・と笑う自分の顔の端にある苦悩を誰かに伝えたい。
そうだ。そういう唄つくるしかねーんだよな。
オイラ唄うたいだもんな。
なんとか、頑張ろう。
はーあ・・・。とはいえ、がんばれるんかなあ・・・・。


今日の日記

2002年4月11日
この間ボツになりかけた新曲"憧れの街"が昨日のリハーサルでなんとか復活できそうな感じになった。
アレンジも変えて、はじめ思っていたハウンドドック系のアツイ感じではなく、どちらかというと"そして僕は途方に暮れる"(若い子は知んねぇよな)ってな感じのシットリ系アレンジ(?)に生まれ変わった。
完全復活までにはまだ時間がかかるかもしれねぇが徹夜で必死につくった俺としては是非使って欲しい限りである。
しかし、ウチのバンドのアレンジ能力ってのは目を見張るものがある。と俺は勝手におもっている。
人から見たらどうなんかしらんがね。
奇をてらった仕掛けなんかは滅多につくらないが、確実に俺が持ってきた時よりもスッキリまとまり、しかも聴かせどころのインパクトは失わせない。
三人が三人共色んなアイディアを出し合って納得のできるものが出来上がった時には他に類を見ないような素晴らしい達成感を味わう事が出来る。
これだからバンド稼業は辞められねぇんだよな。
俺がピンでやろうと思わないのはそういう理由もでかいんだよな。
今回の唄も目が覚めるような素晴らしいアレンジになるといいんだがなあ。
まぁ俺たちのような天才にかかればチョチョイのチョイで名曲になる事は確実だろう。
なんせつくった本人が言ってるんだから間違いない。
ステージで唄えるようになるにはまだ時間がかかるだろうけども楽しみにしていてくれ。


またまたTVの受け売りなのだが、今は家庭内暴力のことをドメスティック・バイオレンスなどというらしい。夫婦間の暴力だけのことかもしれんが。
俺の知っている夫婦の中では本当にTVにでてもおかしくないようなそういう夫婦がいっぱいいる。
もちろん俺自身はそんなことするつもりはないし、どちらかといえば頭が上がらず謝ってばかりのスタイルなのだが、人の家庭のことは見ていてけっこうこりゃやばいんじゃねーかっていう時が多い。
他人が首を突っ込む問題じゃないんだろうが、どーしてそうなんだろうな。
そういううちの奥さんってのはどういうわけだか、暴力男につきまとわれやすいタイプが多いらしく、前に別れた男もそのまた前に別れた男も暴力をふるう人間であったりする傾向があるようだ。
男を見る目がないんだか、そういう危険な香りにクラッとする性癖があるんだかわからんが、そういう家庭は見ていて疲れるね。まして子供がいる前で平気で手を上げるのは教育的にも問題ありだと思うんだがなあ。
日本の法律ってのは家庭内のいざこざに対しては非常に生ぬるく、たとえ亭主が嫁さんを半殺しにしたとしても、他人様を手にかけた場合に比べたら全然安い刑期の裁きしかおりないのはどういうことか。
新しい法案でドメスティック・バイオレンスを裁くちょっと厳しい法律が施行されたらしいが、効果はあがっているんだろうか。
だいたい多いのが、この先何年間被害者の半径何メートル以内に近づいてはならないという形の裁きだが、これもだれかがずーっと監視でもしていりゃ守るのだろうが、誰も止める人がいないのでイライラしてまた近づいて暴行に及ぶケースが多いらしい。
訴え出た女の方はいつまた仕返しに来るかわからない恐怖に怯えて生活どころじゃないだろう。
そして、ことがおおっぴらになるのは最後の最後にぶっ殺された時というんだからたまんねーやな。
とにかくコレを見てる人たちの中にそういう悲惨なことがないように祈っている。


新曲経過発表

2002年4月8日
きのうのリハーサルにこの間つくった新曲を持っていったのだが、どーもうまくいかないのである。
結構今までにない感じのまるでハウンドドッグばりの熱いロッケンロールに仕上がるはずだったのだが、いざ合わせてみると何だかぱっとしない。
家でつくってた時はかなりいけてると思ったんだがなあ・・・・。
俺の場合曲をつくる時間ってのは大体が真夜中で、大声出したら近所まわりに怒鳴られそうな時間帯が多いので、声には出さず頭の中で歌いながらサウンドのチェックをする。
そうすると想像の中では、大声張り出してガンガン歌ってるのに、実際歌ってみると思っていたよりもキーが低すぎて迫力がぜんぜん無くなってしまったり、逆にキーが高すぎて張るところで声が出なかったりすることがよくあるのだ。
自分専用のスタジオでもあればそこで思い切り声が出せるのだが、今のところ車の中くらいしか一人で真夜中に大声で歌えるところがない。
晩酌したあとなんかだと飲酒運転になるので車出すわけにもいかねーし、スタジオ練習でちゃんと合わせてみるまで、うまくいくかどうかわからん。
今までの統計では4〜5曲に1曲くらいしかうまくいかんのよね。
つくるときには、キーボードやギターでキーをあわせているつもりなので、高すぎて出ない音域や低すぎて出ない音域はないはずなのだが実際やってみると、歌えるギリギリの高さの音程が長く続くメロディーがあったりするので難しい。
そんなこんなで、今回は失敗作になってしまうかもしれない。
早く金持ちになって専用スタジオを手にいれないと、無駄な失敗作ばかりが増えて大変だ。

ケーブルTV

2002年4月4日
このあいだ大塚CAVEで公開録画したケーブルTV用のVTRが出来上がり、放送されることになった。
同じモノが、ラフ・ダイアモンドのホームページで公開されているので、気になる人はチェックしてみてくれ。

http://www.10carat.co.jp/rough_diamond/enter_rough_diamond.html

ウチのパソコンで今さっき見てみたのだが、なんせアナログ回線で、しかもリアルプレーヤーも無料版のやつしかないので、非常に見づらくて何やってんだかよーわからん。
音だけは普通に聴こえてたが、まあまああんなもんじゃあねーかなっつー感じだった。
最後のインタヴューがなんとも情けなくてまさにNEWアルバム”なさけない”の宣伝にはうってつけかもしれない。
しかし、Bメロの一番いいとこからインタヴューがかぶっちまっているので、肝心の泣かせどころが面白おかしな雰囲気になってしまっていて、ビミョーだ。でもそのへんが、がきおやじっぽさなんかもな。やっとプロモも出来たし、新曲も出来たし、CDも出来た。そして、イベントだ。
宣伝材料は揃った。よし、ここから再始動。
ちょっと錆かけたエンジンを全開にしよう。
皆さん。俺達にハイオクを満タンでくれ!

新曲

2002年4月3日
随分長い間日記をさぼってしまった。
最近ろくな事がなくってよ。
何だかもう全部ダメなのかと半分クサッてもいた。
でも、今まで一緒に音楽を志したヤツラやもうあきらめて田舎にひっこんでしまったヤツラのことを思うと、俺だけは絶対あきらめられないって気になる。そこでこんなうたをつくった。

タイトル”憧れの街”

想い出の中に消えた 数え切れぬほどの
仲間達が夢に見てた てっぺんを目指そう
あいつらの捨てた物を 全部拾い集めて
あの頃のマジな夢を いつか叶えるのさ

強がりや意地っ張りで いつも損をしてた
不器用な俺のままで ずっと歩いてゆく
泥水をすすり 涙流しながらきっと
あの山の向こう側に いつか辿りつける

ボロボロだぜ身も心も ぶっ壊れそうさ
のたうちまわり ふてくされていまだ
long long long long hard days

oh yeah oh yeah どこかで見ていてくれよ
oh yeah 最後まで つっぱらかってやるさ
このままつぶれやしない しがみついてでも飛ぶ
俺達の憧れてたこの街で


髪の毛が抜けて シワが増えて若い頃の
面影がすべて消えた 老人になっても
あいつらの流した汗が しみついたこの街を
あきらめることはできない 俺も男だから

崖っぷちだぜいつだって 今日も綱渡りさ
誰もがケツを 割っちまって今じゃ
lonly lonly lonly lonly hard days

oh yeah oh yeah いつの日か見ていろよ
oh yeah 誰よりも 意地をはり倒してやる
名も知らぬ人々が さめた顔して歩く
俺達の憧れてたこの街で
                                              ・・・こんな感じ。どうだろかね。
結構軽快な感じのロックに仕上げようと思ってる。
ホントにhard daysだが、なんとか持ちこたえて絶対負けねーぞ! 

卒業

2002年3月29日
3年B組金八先生が今日最終回の卒業式だった。
たのきんトリオが出ていた時代から今まで続いていたのだからたいしたもんだ。
杉田かおるが中学生で妊娠したときに自分はまだ小学生くらいだったので非常にセンセーショナルだった記憶がある。
時代も時代だったのだろう。あの頃中学で子供産むなんつーのはホントにスゴイことだった。
今となっては実際に14〜15歳で子供が出来ちゃったなんていうことがそんなに珍しいことでもなくなったようだから、あの頃のストーリーのままでは別に普通すぎてなんも面白くないって感じだったけど、それでかどうか、やはり手を変え品を変え、この最新作では生徒の父親がひとごろしだったり生徒の兄貴が麻薬の常習者だったり、いろいろ設定が重いほうに変ってきていたのでそろそろ潮時といば潮時なのかもしれない。
きんぱっつぁん自体がはじめの頃に比べるとえらくじいさんっぽくなってきてるもんな。
しかも今回でシリーズじたいが終わるかも知れない。
最後の最後で金八が教師を辞めて教育委員会に入ると言う話だった。
先生じゃなくなってしまうならタイトルの3年B組はもう使えないだろう。
新番組で”教育委員金八先生”なんてドラマをやったりしても、どーもつまらなそうだ。
長い長い期間だった。寅さんとかああいうのと一緒で武田鉄也自体がもう金八の生き方しちゃってるから番組終わったヤツの生き方そのものがつまんなくなりそうだな。
まあ、なにはともあれ、卒業おめでとうございました。

花見

2002年3月24日
きのーは遠くからわざわざ来てくれた皆さんどーもありがとうさんでございました。
久々に楽しいひと時を過ごせたことを感謝します。
しかしいろんな歌を歌ったなあ。
チェッカーズなんか人前で歌ったのどれくらいぶりだろ。コーロギ氏の未発表曲やら昔のバンド友達の作った歌やらしまいにゃビートルズまでうたいましたよ。演奏の正確さはともかくとしてかなりプレミアムでしたな。コーロギ氏の子供たちも参加して鉄棒までやっちゃって、ヒジョーに賑やかなお花見でございました。
しかし、時折降る雨と寒さにはまいったなあ〜。
強い風が吹くたびに桜の花びらがパーっと舞い散っていて、ある意味幻想的な風景ではありましたが俺が行くとこ行くとこずっと雨降ってんだモンな。
雨男ってやつだあね。
日ごろの行いがどーもよろしくないようで。
さむさこらえて暗くなるまでやったけど、見てるほうも容易じゃねーなホント。
でも、埼玉の文化祭の時や平和記念公園でやった時に比べりゃあんなのへっちゃらだけどな。
あんときゃ雪の中でハダカでうたったりしたもんな。
でも、昨日みたいなイベントなんかもやっぱり楽しくて捨てがたいね。
これからはいろいろ企画して定期的に行ってみたいなどと、また口先ばっかと言われそうだがホントに思ったよ。
夏にはキャンプ、海水浴。秋には祭り冬は温泉。
ああいいなあそんな生活・・・・。
遊び過ぎだってか?
いいんだよ。だって人生って遊びじゃん?

ハンター旋風

2002年3月21日
浜松でいつも懇意にしてもらっているバンド、ザ・ハンターがあのジャパンオープンという大きなコンテストの全国大会でベストパフォーマンス賞を受賞したって。おめでとう!!
しかも、当日持っていったCDが100枚完売だって。素晴らしいね。やつらもなかなか頑張ってるなあ。
かつて俺達はあのコンサート会場のでっけーホールに恐れをなしてちっとも上手く演奏できなかった覚えがある。
今考えれば、実にもったいないことをした。
あれだけの人間にメディア以外で歌声聴かせられる機会なんてそうそうあるわきゃねーからな。
もっと気合入れてカッコ良くやりゃよかったと後悔してるが、後悔は先にたたずである。
そのへんハンターはいいステージをこなしたらしい。よくやった!!
がきおやじも新しいCDが4/20に発売決定したことだし、その音源を使って来年あたり、もう一度リベンジしてやろうかと思うのだがどうだろうか。
ジャパンオープンは毎年テーマが決まっていて、それに合わせた歌で勝負するのだが、俺達のときはたしか”トキメキ”かなんかだった。来年のテーマが”現場”とか”男気”とか”恥ずかしい性癖”なんかだとやりやすいのだが、そううまくはいかねーだろなあ。たいがいあーいうのってキレイで生やさしいようなテーマなんよな。
ま、俺達も最近やっと少しはステージなれしてきたから今度こそは一味違うはずだぜ。浜松のファンも結構増えてきたことだしな。よーし!
とか言ってて、予選で箸にも棒にもかからなかったら大変恥ずかしいが・・・・っつーかテープ審査で落とされるかもしんねえよな。ああコワイ・・・。
しかし、藤森見てろよ!俺様の目の黒いウチはゼッテーに負けねーぜ!!100万GETして更にCDも手売で110枚くらい売ってやる!でも浜松行ったときにはいつものように仲良くしてね(笑)


今日の日記

2002年3月19日
足がクサイ。非常にくさい。水戸が近いからか本格的な納豆のニオイがするのだ。
これは今始まった事ではなくずーっと中学生の昔からそうなので、そろそろニオイに慣れても良さそうなものなのだが、コタツの中なんかに足入れてると、自分でも笑っちまうくらいクサイのである。
自分でクサイのだから他の人が嗅いだら卒倒するであろう。
同じニオイのやつが家に遊びに来たらコタツには入れたくネーな。
夏場よりも冬場の方がニオイがやわらぎそうな気がするが、こういう仕事してると足先が冷たくなるから防寒靴を履くので、汗でムレてしまって一層酷いニオイになる。
今日も防寒靴で作業した。
暖かくなったからそろそろふつーの靴に履き替えようかと思うのだが、その防寒靴がメチャクチャに汚れている上、カカトに大きな穴があいてしまっていて来年の冬は履けそうにない。やはり貧乏人としてはもうだめだというところまで履きつぶすしかないだろう。
ちょうど今日からいつもズボンの下に履いていたステテコを脱いだのだが寒さは全然平気だったので、明日からは靴も春モノにしようかとおもっている。
でも、夜中にそう思っていても朝になると、時間との戦いに気をとられて、いつものようにまた防寒靴を履いていってしまうのが目に見えているので、明日も多分クサイんであろう。
今は風呂はハイッタからいいけど、これで風呂に入んなかったとしたらマジでヤバイよ、
でもあしがくさいってことは、それだけ皮膚の新陳代謝がいいってことだからいいか?
なおすっていってもどうすりゃいいんかわからんし、一生つき合うかとおもうと、ちと憂鬱だぜ。
でもみんなもクサイだろ?

今日の日記

2002年3月17日
車のカーステレオがぶっ壊れた。
カセットテープとAM,FMしか聴けない軽トラックの純正品のようなショボイヤツだったのだが、この4〜5年俺の音楽生活を支えた素晴らしい友達が、キュルキュルキュルという音とともに死亡した。
中のほうのピンが折れたんだか、部品が飛んだのか、がきおやじの練習テ−プは無残にも餌食となり20〜30cmほどヘッドに絡み付いて取れない。
こうなりゃヤケだとむりやりひっぺがすと、案の定テープは真ん中でぶっちぎれた。
試しに、捨てるつもりだったほかのテープをもう一度入れてみる。
ギュルルル。ギギーッキュー。ポテッ。
ポテッ?
本格的にぶっ壊れた。
あーあこれでとーぶん車で音楽聴けねーや。
新しいカーコンポ買う金などどこにもネーしよ。
考えてみりゃ俺んちのデッキもCDプレーヤーが壊れてて、Wカセットの左側でしか聴けないありさま。    
こりゃ本当にとおぶん音楽聴けねーな・・・。
音楽活動に支障がでなければいいんだがなあ。
だいたい、自分らの練習テープ聞いたりするのもすべて車の中だったから、マジでツライ。
移動中ぐらいしかゆっくり復習できる暇ねーからなあ。
あとはウォークマンくらいだが、車のなかで運転中聴いてたらまた事故やりそうだしなあ・・・。
どこか安く手に入るトコねーかなあ。



2002年3月13日
暖かくなってきましたな。
春ですな。もう春ですよ。
春風がそよそよとそよいでおりますぞ。
仕事中にふと花の香りがするなあと思ったら、生垣に名の知らぬ薄紅の花が満開になっておりました。
あいかわらず世は物騒な監禁事件やら政治家バッシングやらでバタバタしておりますが、春風に吹かれ甘い花の匂いを嗅いでいると、そんなことはもうどうだっていい様なそんな気になってまります。
こんなに暖かいのに人々はいがみあっている。
こんなに青い空なのにみんな眉根に皺を寄せている。
なんだか悲しくなってきます。
もっと謙虚にもっと楽しく生きていくことはできないものでしょうか。
この先ますます不景気になるのは目に見えていて、俺の周りの人たちも少なからず大変な冬の時代を過ごす事になるでしょう。
だからこそ、こんな暖かい花の香りのする春の夜くらいはすべてを忘れて、なんとか死なずに生きていけている現実に感謝しなければならないのではないでしょうか。
古来日本人には花を愛で、季節の移り変わりを楽しむ文化があったはずです。
日常のバタバタさかげんに心を奪われそれをわすれてしまっては、人生を損してしまうのではないのでしょうか。
神様がくれたこの心地よい風に感謝しましょう。
ンュジ・マジミカ。

”絵”の浮かぶ歌

2002年3月11日
俺が好きな歌というのは情景が浮かぶ歌だ。
ノリ一発というのはどうもいただけない。
オッサンくさいと思うかもしれないが、実はずーっと昔からそうなので、別に年齢には関係ない。
このあいだ、ちょっとそんなことを考えていたのだが、今流行の歌で言ったら、まあゴスペラーズとか鬼塚ちひろなんかは結構”絵”の浮かぶ歌をうたっている。
反対にモーニング娘。だとかラルクアンシエルなんかは、あんまり”絵”が浮かんでこない。
プッチモニなんかは申し訳ないが論外である。
ひなまちゅりとか言われても何を想像しながら聴けばいいのか訳がわからん。
なぜ、”絵”の浮かぶ歌がよくてノリだけの歌がダメなのか、自分なりに分析してみたのだが、その理由は俺の音楽の聴き方にあるような気がしてきた。
根本的にBGMとして音楽を聴くという習慣が俺には無い。
音楽を聴く時にはそれがどんな内容の歌であっても、ある程度集中して内容を把握しようとするくせがある。
インストの場合はまた別なのだが、とくに歌詞のある曲については歌詞の内容やらその歌詞を作った時の作詞者の心情などを想像しながら聴く。
だから意味のつかめない洋楽よりも邦楽のほうが好きだ。
洋楽でも好きな歌は、歌詞の和訳を調べたりする。
最近、日本語のR&Bなんかがけっこう流行っている。そういう歌はバック演奏もアレンジもすごく凝っていてカッコイイのだが、なぜか歌詞だけが間に合わせというか、あまり深い意味のない語呂がいいだけの言葉や、メロディーから連想されるような雰囲気のいい言葉の羅列に過ぎないような、”絵”が見えてこない歌が多いのはなぜだろう。
そういう歌に限ってすごく売れているのは、リスナーがそういうBGM的な音楽のほうを求めているということなのであろうか。
少し悲しいなあ。
誰にでもある多感な青春時代のように、本気でいろいろ考えながら聴いてもらいてーなあ。
それじゃなきゃ、創る方は創り甲斐がないよ。
それでは売れないのかも知れんが、それでも俺は”絵”の浮かぶ音楽にこだわっていきたいと思う。

母性本能

2002年3月9日
タレントの向井亜紀が子宮ガンの手術をした時の話をドラマでやっていた。
妊娠がきっかけでガンである事を知り、結局最後には子供も諦め、しかも子宮を全摘出するというドキュメントに近いような話だったのだが、人事とは思えない気持ちで最後まで観てしまった。
夫のプロレスラー高田延彦の気持ちが痛いほど解った。
こういう事が起こった時はいかに頑強な男といえども何もしてやる事は出来ないのだという事が今更ながら切なかった。
お腹の中にガンという悪魔と子供という天使が同居している状態。
ウチなんかはまだイイ方だったのかもしれない。
番組の最後のほうに本物の向井亜紀の記者会見の模様が流れていたが彼女はすごく強い女だと思った。
自分の命をとるか、お腹の子の命をとるかどちらかを選ばなければならないような状態になった時、ドラマの中だけじゃなく母親って奴は本当に自分の命を捨ててまで子供を助けたいと思うものだと知り、ある意味ショックだった。
男としてはまだいるという実感のない子供より、自分の女房の命を優先して守りたいと思うのが普通だと思うのだが、泣きながら本気でまだ目に見えぬ赤ん坊を助けてくれと言われたらたじろいでしまうしかない。
やはり母性本能というのはすごいものなのだなぁと感心した。
女ってのは本当に強い。男が経験したら死んでしまうというアノ陣痛の痛みを女なら乗り越えられるのもわかる様な気がした。

音楽狂時代?

2002年3月6日
二日目の今日はどうして人間はうたを歌うのかというテーマ。
実在のアーティスト何人かに「あなたはなぜ歌うのですか?」という質問をしていたのだが、やっぱ大物たちはみんな非常に個性的な答えを返していた。
俺がもしそう聞かれたらなんて答えるだろうとふと思ったのだが、どういうふうに言っていいのかなかなか難しいね。
カッコ良く言ってみれば、「言葉や身振りでは伝えきれない自分の気持ちをより臨場感あふれるものに変換させる手段」として歌っているような気がするが、それだけでもない。
たとえば、なぜそれが歌ではなく絵だったり演劇だったり小説や大道芸やその他もろもろの芸術ではないのかと考えると、ただ他のジャンルの才能がないからたまたま歌にしてみたというわけでもないのだ。もっとも、ずっと若い頃には小説なんかも書いてみたいとか思ったこともあったが、なんだかんだショボいステージでも10年以上もやっているとある意味ライフワークというか、正直俺から歌を捨てたら何が残るのだろうという不安やら恐さのほうが本当は大きいかもしれない。
ステージは楽しいし、今までバンドがうまくまわってる時は生活のほかの部分でいやな事があってもなんとか乗り越えてくる事ができた。
かなりハードなことが起こっても歌に助けられてなんとか生きてこれた。
バンドがなかったら今頃多分もう人生に挫折してほんとのアウトローになっていたかもしれない。
そう思うと、歌は俺の命の恩人みたいなものなのだ。それを伝えたい。今現状で苦しんでいる人たちが少しでも歌を歌ったり聞いたりすることによって生き延びてくれたら幸いだ。
俺がうたを歌う理由とは、命の恩人に報いるための恩返しなのかもしれない。
ぜんぜんTVの内容と離れてしまったが・・・。

音楽狂時代

2002年3月5日
スマップの稲垣吾郎が主演の特別番組をやっていたのだが、なかなかおもしろかった。
ヒット曲を作るためにはどういう事が必要かということを科学的な視野も含めながら検証していくというような内容だった。
4夜連続でやるらしく、今から次回が楽しみだ。コレを全部見て、そのとおり実践したらがきおやじもミリオンヒットまちがいなし。。
今日は1/fゆらぎについてとか、ヒット曲のキーワードにまつわる話とか、くじらたちが歌う歌について等々なかなかおもしろい話題をやっていた。
そのなかで特に俺が印象に残ったのは、楽しいうたよりも切ないうたの方が人間は共感しやすいという科学分析の話。
楽しさっていうものは、外の刺激によって感じる感情であるため、その刺激の種類と同じだけ感じる楽しさの種類がたくさんある。
だから、まったく同じような楽しさを経験した人からしか共感を得られないらしい。
しかし、悲しみとか切なさという感情は内に向っている感情の為、その種類というのは一つしかなく似た様な経験や、まったく違う経験でも同じような悲しみや切なさを一度でも経験した人には共感を得ることが出来るという。
俺も昔からなんとなくそんな気はしていた。
たとえ楽しげなうたを作ってもその中に必ず少しの切ないキーワードをわざといれていたのもそんな気がしていたからだ。
俺の中では”そういうことをBLUESというのだ”と、おぼろげながら解釈していたのだが、それもあながち間違いではなかったらしい。
おもしろいので、明日からも、この番組の感想を書いてみようと思う。
暇がある人は是非見てみてくれ。特に音楽を志すような輩には必見の感があるぞ!!

ひなまつり

2002年3月3日
明日は雛祭り。
灯かりをつけましょボンボリに〜♪
日本の童謡には”なんでその歌詞にそこまで物悲しいメロディーが”っていうものが多いが、童謡”雛祭り”もそんな唄の一つだ。
内容的には「今日は楽しい雛祭り〜♪」とうたっているくせしてなんでそんなにマイナーなアレンジなんだ。ものすごい悲しいぞ。
そのへんが日本人らしいというか村社会的というかとにかくオモロイのだが、ホントにわけが解からん。
これがアメリカだったら多分軽快でもっとメジャーなカントリーソングのようになっているだろう。
ほかのどこの国でもこの歌詞にあのメロディーは乗せないのではないか。
そのくせ、日本の童謡のメロディーはなんだか本物っぽいというかやたら説得力がある。
神事に使うような雰囲気のある音階を多用することによって、一種独特の重みをだすことに成功しているのだろう。
”さくら さくら”や”通りゃんせ”とか”かごめ かごめ”などがその代表だ。
たいていどこの国でも、民俗音楽の音階というのは明るい雰囲気のものが多い。物悲しく聞こえるものもあるがそのほとんどは、音階自体はメジャースケールなのだが、素朴さゆえに物悲しく聞こえるというものだ。
日本のようにモロにマイナーな音階というのはあまりないと思う。
専門的になったが、やっぱ日本人って変りモンだよ。おもしれーよ。
考えてることが多分ほかの国の人間とだいぶずれてんだな。
明日は雛祭りだが俺達のライヴでもある。
男の三人囃子を聴きにきてくれ。

未来

2002年3月2日
俺が子供の頃にはまだ携帯電話はなかった。
パソコンどころかファミコンすらまだなかった。
研究所では最新型の一部屋もあるような物々しいコンピューターがパンチ穴のあいたテープを吐き出していた。
家の電話は真っ黒のダイアル式で、タバコ屋においてある公衆電話は赤かった。
女子学生は短いソックスに長めのスカートを引きずり、男子学生たちはボンタンだのドカンに夢中だった。
ゲームはちょっと不良のやるもので、ブロック崩しだのインベーダーゲームの名古屋撃ちなどを得意になってやっていた。ちょっとたったらゼビウスなんか出てきてはまったっけ。
もみ上げはみんなアイビーカットなんつって斜めに剃ってあったし、修学旅行の京極で買った新撰組のキャラクターいりの暖簾や灰皿が友達のうちにどこにでもあって、男の子はビーバップハイスクールと湘南爆走族を読みふけり、女の子らはホットロードに泣いた。
たった15年か20年やそこらでめまぐるしいほど普通の生活が変った。
今時は小学生でも携帯電話持っていなきゃいじめられるってよ。
ホント随分なんもかもが進化した。
この俺が夜な夜なパソコンに向うなんてこと、当時じゃとっても信じられんぜ。
この感じであと10年、20年、100年、1,000年と進化はつづいて行くのだろうか。
普通の人が宇宙に旅行にいったりとか、寝てても目的地に着く自動車だとか、サイボーグやらタイムマシンやら本物のジュラッシックパークやら超高性能人肌ダッチワイフやらがホントにできる時が来るのだろうか。
いまから冷凍人間になって1,000,000年後くらいの未来に目覚めてみたい。
その頃には恒久の平和が実現されているのだろうか。
それとも相変わらず世界のあちこちでハイテクを駆使した、いがみあいが続いているのだろうか。
願わくば平穏な未来であって欲しい。

音楽教育について

2002年2月27日
音楽とは音を楽しむと書いて音楽。
音を学ぶ音学とは似て非なるものだと思う。
小学校から学校で習う音楽は音学の間違いなのではないかと思う時がある。
悪がきどもに音楽の授業は好きかと訊ねるとみんな口を合わせて嫌いだという。
そりゃそうかもしれない。みんなの前で出来ない笛を披露して赤っ恥かかなきゃいけないし。
習う歌は文部省唱歌ばっかりで、たまに有名なのがあってもユーミンの”守ってあげたい”か、さだまさしの無縁坂あたり。ださくてくさくて歌う気にもならない。だいたいあの女教師がいけ好かないんだ。いつもツンケンした目で俺達を睨みやがってよ。汚い物でもさわるような顔しやがって。
たいしたタマでもねーくせしやがって、たまにゃ女らしく媚びてみろってんだよ!!
・・・・とまで思ってるかどーかは知らないが、なんしろこのオールジャンルな今の音楽シーンの中でわざわざクラッシックなんつーひなびたようなジャンルしか教えないなんて、ナンセンスにも程がある。
今世界が求めている音楽はなんなのか。
音楽によってどれだけの人間が心を動かしているのか。
それを教えるのが教育者の務めではないのか。
昔の音楽の歴史で重要なのは、もちろんクラッシックでもあるが、ジャズやブルースやロックンロールやパンクやその他諸々の新しい歴史もそれと同じかもしくはそれ以上に重要なのではないか。
楽しめない音楽というのはナンセンスなのではないか。
学校で音楽ではなく音学ばかりを旧共産圏的に学ばせていることは、日本国民の音楽性に関わる重大な失態だと思うのだがいかがであろうか。
だって音楽ってもっともっと素晴らしいんだぜ!


眠いzzzz・・・

2002年2月25日
益々春の日差しが強まって参りました。
’春眠暁を覚えず’と申しまして、何をしていても眠い・・
あ〜眠い・・・
朝は絶対に毎日起きられないし、夜は夜であまりの気持ち良さについつい遅くまで起きていてしまう。
非常に悪循環である。
ポカポカの芝生の上で誰にも邪魔される事なく昼寝がしたい。
気持ちイイだろうなぁ・・・
こうやってパソコンに向っていても今日は眠くて仕方がないなぁ。
最近少し疲れ気味なのかもしれないなぁ。
春になると変った人が往来に増えるというけど、それって俺の事かもしれないなぁ。
なぜか冬の寒さが和らいでくると、自然に情緒に対してやたら敏感になったり、考えんでもイイ事を色々突き詰めてみたくなったり、雄犬が浮き足立つのも解かる様な気がするよ。
俺にもやっぱり男の血が流れているんかねぇ。
桜の花が満開になった頃、素っ裸にコートで女子高生を脅かしている俺がいそうで恐いよ。
いやいや、そんな事はねーがよ。
しかし、春風には男達を豹変させる成分が含まれているようでならない。
こんな気持ちになるのは俺だけなのかな?
俺だけなのかもな。

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