流れ

2003年3月24日
アメリカがイラクに大規模な空襲を行ってから、更に全世界で批判の声が相次いだ。
アメリカは前線部隊に記者を同行させ、攻撃目標はあくまでもイラク軍、フセイン政権の関連施設であり、ピンポイント攻撃によって極力一般人の被害者を出さない様にしている。写真にとられてまずいような非人道的な攻撃はしていないということをアピールしたが、世界中の反戦デモはそんなことには関係なくどんどんエスカレートの一途をたどる。
イスラム文化圏であるアラブ諸国にいたっては、もう敵はアメリカだけでなくアメリカを支持するすべての国だと認識している。
もちろん日本に対してもかなりの批判が渦巻いているようだ。
この戦争というのは、もともとキリスト教対イスラム教という古くからの大きな問題が背景にあるため、複雑な問題をたくさんはらんでいる。
反戦のデモが増えれば増えるほど、イラク側にとってはイラク軍への支持者が増えたような錯覚をおこさせるが、実はこの戦争に反対してデモをしている人の大多数がブッシュとフセイン両者を批判していることはいうまでもない。罪深きはどちらかの国ではなく戦争そのものなのである。
今回の戦争には終止符はない。
イラクが前面投降して終わったように見えたとしても、次にはきっと世界中でテロの嵐が起こるだろう。
日本も例外ではない。
というより、日本は特に危ないのではないか。
危機に乗じて北朝鮮の軍も行動を起こすかもしれない。
そうなれば日本の景気も益々もって不安定になり、その面当てが最初に来るのは決まって清らかなる心をもつ貧乏人なのだ。
すべての人々がこの戦争の問題を理解し、すべての国々が妥協しあわなければ永久に戦いは終わらないであろう。
平和への途は遠く険しく、もしかしたらすでに途切れてしまっているのかも知れない。

街頭演説

2003年3月21日
現場からの帰り道のこと。
厚木市のとあるスーパーマーケットの駐車場の入口のところで、がきおやじが路上ライヴで使うような小さなスピーカーにマイクを差してなにか大きな声で訴えている一人の女性をみた。
細い金縁のめがねを掛けたまじめそうな彼女のうしろには手製の看板がたてかけてあった。
「戦争反対」とかいてある。
夕方5時をまわったころなので、スーパーは夕飯の買い物客でいっぱいなのだが、厚木あたりはみんな車で移動するので、駐車場の入口の歩道に立って大声で演説する彼女の目の前を次々に車が通り過ぎてゆく。
駐車場に入るにはそこを通るしかないのである。
車の数もかなりの量だ。しかし歩道を歩く人の姿はまるでなく、もちろん立ち止まって見ている人は誰もいない。
それでも彼女は声たからかに一人きりで戦争反対を叫んでいるのだ。
あの人を何がそこまで動かすのか。
ああいう人が今日本に何人くらいいるのだろうか。
先を急ぐ俺は信号が青になると同時にその場を去ったがその姿は強く目に焼きついた。
彼女が日本人のイスラム教徒だからなのか、旦那さんがイラクの人なのか、それとも強い平和主義の思想家なのか。
どちらにしても、この戦いがまた少なくとも一人の人間の心に傷をつけたことは間違いない。

ウチの仕事場に外人が多いのは前にも書いたが、その中でもガーナ人のベンさんは熱心なイスラム教徒でありこの戦争の中心人物であるサダム・フセインを神のように崇めている。
もちろん日本に来たのは働いてお金を作るのが目的で、アメリカの子分の様な日本人は彼等から見ればきっと敵である。
いつも一緒の現場で休憩時間なんかは俺ともけっこう仲よく話をする。
アメリカの空爆がはじまって、昼の休憩の時には俺の車の中で一緒にラジオのニュースを聞いた。
勿論日本の放送では言葉が難しすぎてわからないので、FENを聞いていた。
俺は英語の知識が乏しくって何を言ってるのかよくはわからなかったが、「ミサイル」とか「ステルス」とかいう単語が頻繁に登場するので、きっと戦況のニュースだったんだろうと思う。
日本人の俺達にはちょっと想像が難しいが、イスラム教徒達のコミュニティというのは完全に国境を越えていて、全世界のイスラム教徒同士は血筋に匹敵するような固い結束で結ばれているらしい。
敵国ニッポンの工事現場で彼は、仲間がたくさん死ぬであろう戦争のニュースを聞きながら何を考えていたのであろうか。
午後仕事に戻るといつものように笑って話をしていたが、心中はきっと複雑だろう。
今のところ最新のニュースで空爆による一般人の死者1名、負傷者14名といっているが、日に日にこの数字は増えていく筈であり、またブッシュは長期戦になると展望を語っている。
胸が苦しい話だ。
ベンさんの仲間たちうまく生き延びろよ!!


戦争イブ

2003年3月19日
明日また戦争がはじまる。
いったいどうなっちまうのかワカランが、ろくなことにならねーのだけは決まっている。
また罪のない何千何万の人々が苦しむことになる。
そして、罪深い何十人かのトップクラスの人間たちは決まって安全な場所から人々が苦しみもがくのをまるでゲームの駒の動きを眺めるかのごとく見ているのだ。
盾の会とかいう団体がイラクに行って盾になれずに帰ってきたり、全世界で反戦デモが繰り広げられたりそんな戦争イブだってのに、俺は悠長にもビール呑んでボケーっと死んだ魚の眼でTVの歌番組を眺めている。
俺の親戚や友達連中も仕事場の人たちもそして道を行くほとんどの人たちも、多分明日から戦争がはじまることくらいはきっと知ってる。
でも「今夜はどこに呑みに行こうか」とか、「TVは何を観ようか」とか、「おっあのネーチャンかわいいなぁ」とかそういった諸々の重要なことのために、忘れてしまったのか忘れたふりをしているのか。
我々日本人は明日になって、ホントに戦争がおっぱじまって、たくさんたくさん人が死んで、更にたくさんの人が苦しんで、その映像がTVで放映されたとしても、きっとそのショッキングな画像をつまみにのんきに晩酌するだけなのであろう。
日本はどのくらいアメリカに協力するかだとか、物資の不足でガソリンやらなんやらが値上がりするかもしれないとかもうそんなことはどうでもいいから、とにかく犠牲になる善良な人が一人でも少ない様に祈ろう。
まだ俺には世界を揺るがすような力がまったくないので、今回もまたあきらめてせめてもの祈りを捧げる。

雨なんです。
明日からまた職人ミュージシャンとしての生活に復帰する予定が、初日からどうもまた雨の予感。
雨なら休みがペンキ屋稼業。
天気予報は今夜の雨が明日の昼過ぎまで降り続くと言っている。
幸先が悪いというかタイミングが悪いというか、いっつもこうだ。
春ももう近いっつーのにどうもパッとしないね。
桜が咲いたらみんなでぱ〜っと花見でもやってドンチャン騒ぎでこの鬱憤をふっとばしたいですな。
そういや去年の春は井の頭公園で花見やったけど、あん時も確か途中で雨が降ってきてびしょ濡れになっちまったんだよな。
どーも毎度毎度雨には悩まされるなぁ。
早くドッピーカンの春の空が拝みたいぜ。
春になったら外でバンドやるのも寒くないし、もっと活動的になれそうな気がする。ネコ共がサカり出すのと一緒で人間様のこの俺さえも春の訪れに心がウキウキしてくるぜ。
春が近づいてきて、ここんとこ野良猫たちが一斉にサカり出したもんだから、住宅街のアチコチに車に轢かれた野良猫の死骸を目にする。
やつらサカリがつくとメスネコ以外は目に入らなくなるらしくって、車が走ってようがバイクが走ってようが全然気にせずメスネコを追いかけて車道にすごい勢いで飛び出してくる。
んで、ドッカーン。
人間様のこの俺はそんなあわれなネコ共の死骸を見る度に、あくまでも一途な畜生の恋を少し羨んでしまったりもするのであった。
桜が咲いたら俺もヤツラのように一心不乱に走ってやろう。
この雨が行けばきっと春はもうすぐそこなんである。

案の定

2003年3月14日
っていうか、俺なんかに営業なんかが出来るわきゃーねーっつーことになんで気が付かなかったのかっていう話だね。
辞めました。はい。ハハハ・・・辞めちまいましたよ。
やっぱり汗水流して肉体労働に励むのが俺のスタイルでしょう!
件のチャンドラー氏とともに元請けを探してまたペンキ屋稼業に精を出すことにしよう。
まったく営業ってヤツは難しいっていうか俺の性に合わんっていうか因果な商売ですな。
俺がやってたのはマンションやらアパートのリフォームの営業だったんだが、アパートなんかを塗るためにはまず大家さんや地主さんを探さねばならないのである。登記所に行けばすぐわかるのだが、一件につき500円ほどかかってしまう。一日最低10人は大家さんを探さねばならないので、そんなに金はかけられない。そこで、目的のアパートを一部屋ずつピンポンしていって出てきた住人に「ここの大家さんはどこの誰かわかりますか?」と聞いてまわるのだが
、この世知辛い世の中そう簡単には教えてくれない。
賃貸契約書でも見せてくれりゃ一発なのに、たいがいは「なんであなたに教えなきゃならないんですかぁ?」なんていう。俺の人相が悪いのかも知れんが、ドケチが多すぎるぜ。だいたいその金は大家が出すんだし、てめーの住んでるボロアパートをキレイにしてさしあげようってのになんつー言い草じゃ!
火でも点けてやろうかと思っちゃうぜ。
でも、プロの営業さん達はそんなときでもにっこり笑顔で「そうですか、どうも失礼いたしました」なんて頭を下げるのである。
俺にはちょっと無理でんな。
まあ、変わった世界を垣間見れただけでも良しとしようか。

営業

2003年2月26日
今働いているペンキ屋がまたまた不況のあおりで仕事がなくなってしまったので、最近休みがちでこれからどうしようか悩んだりしていたのだが、今日会社のえらい人から電話があってやっと仕事が入ったのかと思いきや、あまりに仕事が取れないのでどこか現場が出るまで営業の仕事をやってくれないかという話であった。
さすがにいっしょに働いている外人勢は営業に回す事が出来ないのでやつらは仕事待ちで大変である。
どーも俺のキャラクターが営業にむいていそうだという。
はたして、どうだろうか・・・・
はっきりいって今までネクタイつけてする仕事という物を一度もした事がない。
外回りに着ていけるようなスーツなんかももっていない。
聞いたらユニフォームは貸してくれるらしいが、どんないでたちになるやら不安だ。
現場でお客さんと話したりするのは結構得意な方ではあるのだが、全然知らんうちにいきなり飛び込みで行って塗り替えを勧めるなんて想像できん。
門前払いを喰っても平気なタフさも持っているかどうか今の所わからん。
かなり腹が立ちそうな仕事だし。
まあほかに仕事の当てがあるわけでもないから仕方あるまい。ちょっとやってみるか。
でも、営業の仕事って仕事が取れないと給料メッチャ安いんよね。
がっぽり儲ける為には仕事をいっぱい取ってこなきゃだな。
俺は老人ウケだけはなぜかやたらイイからそっちから攻めるしかねーナ。
でもなんだか年寄り騙してるみたいで気がひけるんよね。
だって、会社の工事代金って俺が個人的に塗り替える倍以上の値段なんだぜ。
うまくいけそうなら、会社辞めて自分で現場とって自分で塗り替えるか・・・・・

B.Bストリート

2003年2月21日
やっちまったぜ・・・。
段平ちゃんと初のライヴハウスでのステージだっつーのに・・・。
久々の大失敗ってやつだぁ・・・。
まあよくある話だけどね。新曲のギターソロに力を入れすぎて、ソロ後の歌詞がすべて頭からぶっ飛んでしまった・・・(汗)
思い出そうと焦れば焦るほどに訳のワカラン言葉やら映像やらがアタマの中を駆け巡り、しかも思い出したと思うそばから曲はどんどん進行していくので、記憶力が曲のスピードに追いついてイカンのだ。
最近一番力を入れてるはずの新曲で完璧だったはずなのに・・・
しかも一番盛り上がるはずの最後の最後で思わず「歌詞忘れちゃった」とつぶやいてしまった俺。
投票結果が良ければ次に繋がるというシステムだけにちょいと笑えないぜ。
古い話だがジャパン・オープンの時なんかもそうだったもんなぁ。
ライヴが終わったあと勇吾にも言われたけど、俺ってこういう何かがかかってるようなステージでへまをやらかす癖があるのかも知れんな。
自分では気付かなかったけど緊張してたのかなあ?
これではイカン。イカンぞぉ〜!!この先もこういうシチュエーションでライヴすることがあるはずだから、そん時までには克服せねばならん問題だな。
どうすりゃ直るんかねこの癖は・・・

コーロギ復活ライヴ

2003年2月16日
ほんっと久々でした。しかも時間の都合上スタジオでのリハーサルも全くなしっつーことで、コーロギ氏もかなりドキドキもんだったろうし、俺としてもいつになく緊張した。
しかしやっぱり一緒に10年からやっていた強みってやつか、リハからもういつものように普通に出来て一安心。
対バンも結構うまいバンドばかり。
負けちゃあいられない。
一曲目はおなじみ新宿ラプソディーから。
3人の声が久々に交じり合う。お客はいい感じに見入っている
そこからいきなりコーロギ・トークだ。
もう俺が出るのは今回が最後です。・・・っておいおいそうなんか?
・・・・まあとにかくいつものトークにお客は久々の大爆笑。これが勇吾と二人だけではうまく出来んのよね(笑)
サイテーの恋の唄。
そこからぶっちゃけ物語。このあたりではもういつものがきおやじに。
帰り途は嫌い。想い出がつまった唄だけに気合が入る。
そして、赤帽ドライヴ。いつもならコーロギのスリー・カウントからイントロに入るのだが、最近勇吾と二人でやるときはずっと俺がカウントしていたため、思わず自分でカウントしてしまう。
戸惑ったコーロギの顔。
メンバー紹介もちょっとぎこちない。
しかし、ヤツはいつもにないほどきっちりベースソロをこなした。つづいての勇吾はドラムソロで新しいヤツを披露。なかなかいいぜ。
本当は30分の持ち時間のためここで終わりのはずだった。
時間も押していて次のバンドも楽屋で待っている。
でも、どうしてもやり足りない俺は無理やりに「後一曲だけ」といっておまえに贈りたいものを演奏しはじめる。
最後のコーラスではアツくなれた。
拍手。
終わった。
お客さん達にあいさつまわりし終わった頃、コーロギ氏は時間がないので子供たちを連れて帰った。
ほんとは久しぶりだし積もる話も山ほどあるのだが、2人の子連れではやっぱり大変なのだ。なにより子供らを夜中に連れ回すわけにはいかない。
この先新曲を練習したりする時間が思うように取れないというのもやっかいな問題ではある。
これからも、一緒にできる機会は限られてしまうだろうが、そんでもお互い必死に頑張ろう。
なんしろすべて頑張るしかない。
来週の18日にはまたB.Bストリートでライヴが入っている。今度は段平チャンのライヴハウス初デヴューだ。
気合いれてたのむぜ!!



まあじゃん

2003年2月12日
最近インターネットの麻雀にはまっている。
新しい職場は今まで仕事が切れた事が無いと言うのが売りだったそうだが、俺が入ったとたんになぜか仕事が薄くなり始め、昨日も今日も仕事待ちで休みなんである。
俺は貧乏神なのであろうか。
・・・・で麻雀。
コンピュータと対戦するやつは昔トラックの運チャンだったので、ドライヴ・インなんかでよくやったのだがあれはインチキ臭くって面白くない。
まあ取り得といえば勝つと女の子が脱ぐということぐらいなんだが、配牌ですでにテンパイしてたり、はじめから白、發、中が全部アンコで揃ってたり普通の勝負では絶対にないことがおこる。
増して稲妻リーチ棒やらを使うと確実に一発ツモ。
しまいには100円入れたらいきなり相手に天和で
アガられてしまったりする。
今流行の「ありえない」である。
そのてんネット麻雀は相手が人間だから俄然おもしろい。
インチキもないし、今まで自分がどのくらい勝ったかをレート表示してあるので相手がどのくらいの強さかわかるし、しかも無料である。
ルールもクイタンのありなしや赤入り赤なし、流局で親は流れるのか連チャンかなどいろいろ選べる。
今日も今からやっちゃおーっと。

笑うスリランカ人

2003年2月11日
新しく入ったペンキ屋には3人の外国人の職人がいる。
2人のガーナ人と1人のスリランカ人。
その中の1人スリランカ人のミスター・チャンドラーと俺はすぐに仲良くなった。
彼は故郷では印刷会社の社長をしていたという。
まだ日本に来て5年くらいだと言う事だが、彼の操る日本語はなかなかのものである。
ヘタすると茨城あたりのおじさんよりわかりやすいかもしれない。
それも全部独学で覚えたと言うから驚きである。
人間がんばればそのくらいの事ができるものなのだ。すげーぜ。
彼の経営していたスリランカの印刷工場は戦争の影響もあってやむなく閉鎖して、給料の良い日本に出稼ぎに来ているというのだが、今の日給は¥8,000−である。
小田急相模原の安アパートに住みながら故郷の妻と子へ毎月10万くらいの仕送りをしているという。
20日働いて16万。この仕事は雨なら休みだからたいていは働けても22〜23日がいいとこである。
残りのお金で生活するには日本はあまりにも物価が高い。
コンビニで売れ残って5個入り100円に値下げしたパンを2日に分けて喰ったりもするらしい。
大変な頑張りやさんである。
そんな境遇にもかかわらず、彼はいつもにこやかに笑っている。
スリランカは敬虔な仏教徒の国。
ブッダの教えに、つらくても笑っていなさいとあるらしい。
俺の境遇も彼と似たり寄ったりでつらいこともあるが、彼を見習って笑っていたいと思う。
 
俺のおやじの実家の塗り替えもやっと終わり、昨日の夕方神奈川に帰ってきた。
勿論高速代を浮かす為にオール下道で帰ってきたのだが、夕方4時から登戸でがきおやじのリハーサルだったので、ちょいと早めに静岡を出たつもりであった。
しかし土曜ということもあって国道246号線は車であふれかえって大渋滞。
やっとのことで厚木を過ぎた辺りでもうすでに約束の4時を回ってしまっていた。
段平ちゃんを交えてまだ2度目の練習である。
やりたい事は山ほどあるのにここからだとスタジオまではまだ1時間以上かかる。
イライラ、カリカリしながら必死に周りの車を追い抜き、やっとスタジオに着いた時にはもう5時過ぎであった。
勇吾と段平はとっくに二人でリズム練習をひととおり終えていた。
大急ぎで準備をして早速練習にとりかかる。
今までやった曲はもうだいたい出来た。
できるやつを全曲通して、そのあと細かいチョコッとしたアレンジをしてるうちに時間はもう残り30分を切ってしまい、最後の最後に「ぶっちゃけ物語」の初練習にとりかかった。
あの曲はなかなか難しい曲だが、まあなんとかいけそうな雰囲気になったところでリハ終了。
ほんとはそのあと横浜西口の路上に出るつもりだったのだが、ペンキの片付けやらなんやらがあったので今回はやめた。
やはり土曜の夜は結構忙しい事が多くってどうしてもサボリがちになっちゃうなあ。
よし、やっぱりこれから平日の夜に変更しよう。
段平ちゃんの練習が一息つくまではちょっと休みがちになりそうだが、そのあとは平日に変更して路上を続けることに決めた。
仕事終わってから夜中はきついが、なんとかがんばろう!!

大船イマジン2度目

2003年1月27日
今回は少々お客さんの入りが悪くって客待ちのために非常に遅い時間のはじまりになってしまったのだが、何を隠そう今回がサポートベースマンの段平ちゃんの俺たちとの初ステージでもあったのだ。
本格的な活動を控えての前哨戦としては申し分のないステージだ。
彼が、覚えた5曲をいきなり全部披露するということで俺たちは浮き足立っていた。
ライヴハウスではなく飲み屋さんということもあって、アコギ2本プラスエレキベースというスタイルでやってみた。
はじめに勇吾と俺とで4〜5曲ギター2本で弾き語りでやって、そのあと段平ちゃん登場という筋書き。
リハの段階では、今までにあまりやったことのないスタイルに戸惑い、音あわせがなかなか難しくてなんだかちょっとやりづらかったのだが、さすがに本番になるとみんなテンションがあがっていい感じでいけた。
2ステージやるので、段平ちゃんは全部で10曲分の演奏。
最後までちゃんといい感じにこなしてくれたぜ。
俺も勇吾も気合はいってそこそこイケたんではないでしょうか。
演奏も全部終わって店を出たのが夜中の2時過ぎ。
親父宅の塗り替えの最中なのでそのまま静岡に行かねばならん。そのために今夜は酒も飲んでいない。そろそろ行こうかと思いきや、なんと勇吾も段平ちゃんも電車出勤だったので帰りの電車がないではないか!帰れないジャン!
オーマイガ〜ッ!!
仕方なく鎌倉市にある店から瀬谷区の段平ちゃんと東京は飯田橋の勇吾を車で送り、そのあといつもは高速など使わないのだが、さすがに今回だけは下道ではきついので東名高速に乗って静岡へ。
やっと到着したのは朝も明けきった7:00過ぎであった。
そんでそこからお昼まで仮眠して即ペンキ塗りってな状態だったんで、昨晩はさすがにつらくって日記も書けなかったよ。
まあ、でも今回もお店のかたがたには良くしてもらえたし、はじめて段平ちゃんと一緒にステージにも立てて感じもつかめたし、とにかく今度はドラムセット組んで早くやってみてーなあ。
きっともっともっといいはずだぜ!!

塗り替え

2003年1月21日
俺の実の父親の家を塗り替えることになり、材料や足場の段取りのために静岡に行った。
建坪32〜33坪くらいのこぢんまりした2階建て住宅なのだが、角地ということもあってか最近地元の塗装業者が何度も営業に来ては塗り替えをせがむので、たまりかねて「うちのセガレがペンキ屋やってるからそこでやるからいい!」と断っていたらしい。
それでもしつこく何度も押しかけてはやらせてくれといっていた。ヤツラもここんとこの不況でよっぽど仕事が薄かったのだろう。しまいには10万円也の値引きまで呈示したらしいが、逆にそれがいけなかった。
その値段で出来るならはじめからそう言えっつーやつで、「急に10万も値下げするような業者は信じられないから帰れ!!」と怒鳴って帰らせたそうだ。
そこでホントに俺のところに話が回ってきた。
いかんせん神奈川からだと交通費がかさむが、施主が自分のオヤジなら寝泊りに金はかからんし、メシや酒の心配もあるまい。それに静岡は暖かいから仕事もはかどることであろう。
二つ返事でOKした。
塗り替えをやることになってからよくよく日程を考えたら、23日は登戸で練習だし、25日は大船イマジンでライヴだ。
来月のアタマからは新しい職場に行く予定だから今月中にはなんとかして終わらせねばならない。
お決まりの軽自動車で何度も静岡〜神奈川を往復しなきゃならんが、気合入れりゃまあなんとかなるか・・・。
とりあえず雨が降らん事を祈ろう。
それから、持ち家をお持ちのかた!!
どこより安く丁寧に塗り替えまっせ!
静岡までなら出張可(笑)!!!
塗り替えの際には是非私めのところまで。

横浜顛末記

2003年1月20日
昨日も勇吾と二人で横浜の路上やってきた。
今回はおまわりさんの登場もなく、でかい声張り上げてアツイやつを御見舞いしてきたぜ。
けっこう立ち止まってくれた人も多くて楽しかった。観ていってくれた人達どうもありがとう!
ご多分に漏れず酔っ払ったお兄さん方にもお褒めの言葉をいただき、ちょいと喧嘩っぽくなったりもしましたが、そこはそれまた楽しい余興の内ってことで、OKでしょう。
そしてこのまえ日記でも書いた公明党のアンチャンからもらったヘブンアーティストの署名にも、じつにたくさんの人が署名してくれて嬉しかった。
ホントありがとね!
勇吾と俺の息もかなり合ってきて、最近はライヴだろうが路上だろうが何でも来いっつー感じになってきた。
勇吾もフロントに立つことにだいぶ慣れてきたようだな。いい傾向だ。
今回も最後の最後の曲を大声で熱唱してる時に目の前に制服の警官が現れたのだが、なぜかなんも言わないで通り過ぎていってくれたので最後まで気持ちよく歌えた。
まあ、とりあえず文句言うお巡りもそんなに毎回来る訳ではなさそうなので、この先も横浜西口は続けられそうな感じだから、俺としてはなるべくコンスタントにやりたいのだが、やっぱり土曜の夜というのはライヴスケジュールと重なる頻度が高くってね・・・。
ちょっと考えてこれからは平日の夜に変更しようかなんて思ってる。
横浜はとてもいい街だし、これからもあそこでずっと歌い続けたい。
それにはもっと色々考えて、少しでも反響があるように頑張らねば。

隣人

2003年1月18日
この間のB.Bストリートではまた新たな出あいがあった。
”隣人”というドラムとアコギのデュオである。
やつらの詞の世界がまた独特で、もう男臭いというか生活臭いというかとにかく超リアリティの世界なんであるが世界観そのものが、がきおやじの世界観と非常に似ているんである。
今まで数々のバンドと一緒にステージに立ってきたが、こういう俺達と同じニオイのするバンドというのは珍しい。
勇吾も俺も一発で気に入った。
近々相互リンクする予定なので、気になる方はアクセスしてみてくれ。今時なかなかこんなアツイ奴らはいねーぜ。
とても楽しいステージであったが、そのライブが終わってから俺達にはもう一つの出会いが待っていた。
それは、がきおやじのサポートベースマンをやってくれるという奇特な人”段平”氏との出会いである。彼は自分のバンドも持っているのだが、合間を縫ってがきおやじのヘルプをしてもいいと名乗りを上げてくれたのである。
コーロギ君とはキャラが全くちがう爽やかな感じの(コーロギ君が爽やかじゃないっつー訳じゃないよ・・・汗)彼であるが、いったいどんなグルーブを叩きだしてくれるのか興味深々だ。ともかくここんとこ勇吾はドラムをめったに叩けないし、俺は俺でエレキギターからずっと遠ざかっていたので、うれしい限りである。
今週中には音あわせをして、コーロギ君が来れないライヴには極力サポートしてもらうつもりである。
やっとなんか新しい展開が始まったような気がするぜ。
そういえば、少し前の日記に書いた新薬の治験に参加するという話は、事前に血液検査してみたらなんでも血小板が少なすぎてダメだとかなんとかで、大金GETもオジャンになっちまったんだが、新しい門出に血湧き肉踊る今の俺にとってはそんなのもうどうでもいいこっちゃ。血の気が上がって今頃血小板も増大しているであろう。
とにかくよく見とけよ!やったるど!!!

違法行為ってか?

2003年1月12日
久しぶりに横浜西口の路上に出たら、何曲もやらないうちにおまわりに止められた。
あのやろうわざわざ曲の途中で中断させることねーだろうが。
ほんとに人の税金で喰ってる癖しやがってナメた犬どもだぜ。
なんでも、エスカレートしてドラム持ち込んだりするバンドが増えてきて苦情が出るんだってよ。
道路の不法占拠だとかなんとかぬかしやがって、しかたねーから近くのほかの駅に行こうっていうことになり、桜木町やら関内やら、昔”ゆず”がやっていたので有名な伊勢崎町のモールまで行ってはみたものの、歩き回ってみてもどうも人が少なくって話にならん。
せっかく寒い中遠くから来たんだし、ここでむざむざ帰るのも癪に障るから、もう一度横浜に戻ろうということになり引き返した。
さっきまで演奏していたやつらはもうおまわりに言われて退散していたが、また違うやつらが来てやっていたのでもうおまわりも来ないだろうと思って俺達はセッティングをはじめた。
何曲かやって、よし調子が出てきたぞと思った矢先にまた犬畜生が現れやがった。
さっき同様曲の途中で無理やり制止されて、「5分後にまた来るからそれまでに消えろ」と言われ頭に来ていると、すかさず後ろから「すみません・・・ちょっといいですか?」と声がかかった。
振り返ると2人組みの男が立っていて、なにかアンケート用紙のようなものを見せて「わたしたち公明党のものなのですが・・・」このやろー!ひとが頭にきてるときに何しに来やがった!と思って怒鳴りつけてやろうかと思ったが、よく話を聞くと「僕らは東京の都条例で決まったヘヴンアーティスト制度を神奈川でも創設させようと運動してるんです。どうぞ署名をお願いします。」ときた。
この制度は東京都内のアーティスト(大道芸、音楽等)が都のオーディションに合格すると、地下鉄の駅構内や都庁前、公園などで自由にパフォーマンスが出来るライセンスをもらえるというもので、東京都ではすでに154組のアーティストが合格して活動している。
俺も前々からこの制度を作った石原さんは素晴らしいと思っていたのだが、これはあくまで都内だけの事で、まだ神奈川はじめ他の県では制定されていないらしい。公明党もなかなか良い活動をしているぞ。
これが制定されれば俺は真っ先に飛びついて路上でおまわり断叫の唄を声高々に唄ってやる!!
とにかく、すぐに署名してそれだけではなく白紙のアンケート用紙を何枚かもらってきた。
これからライヴやストリートのたびにお客さんから署名を集めるつもりだ。
公明党には縁もゆかりもなく、神様を馬鹿にする唄まで唄っている俺達だが、この活動だけは垣根を越えて協力したいと思っている。
いまにみてろよおまわりども!!
2003年あけましておめでとうございます!
正月中はずっと静岡の田舎に帰っておりましてやっと帰ってまいりました。
まあゆっくりとした正月を久しぶりに満喫いたしまして、心も体もリフレッシュ。
毎年恒例ではありますが、今年こそ良い年にしようと思って頑張る所存でおります。
どうぞみなさま、これからも応援よろしくお願い致しますです。
新年が明けてまずはじめにしなきゃならないことはといえば、俺の場合やはり職探し・・・・。
去年の年末から仕事がなく、しかもぶらぶらしているほどの余裕はまったくない切羽詰った状況なんでありまして、いろいろ就職情報誌なんかで仕事を探し、早速明日一件面接にこぎつけた。
もともと俺みたいな売れないミュージシャンにとってアルバイト探しは非常に大変な作業でありまして、まずは生活できるだけの給料をもらえなきゃならない。特に俺のように借金ばかりの場合は、かなり良い金額の仕事でなければならないのであって、不景気になればなるほど難しくなってくる。
あと、勤務日数の問題がある。ライヴだとか練習だとか録音だとか、なんだかんだで土曜や日曜はほとんど仕事が出来ない。
それに加えて平日も急にちょくちょく休まなきゃならないとなると、使うほうの立場から言えば使いにくいことこの上ない。
まして、その仕事場に一生骨を埋める気持ちなど初めからサラサラないのだから、よっぽど人が足りないような職場でなければ仕事に情熱のあるほかの人間が採用され俺なんかが落とされるのはあたりまえだ。
こういう場合に備えてペンキ屋の技術を覚えておけば喰いっぱぐれがないと思って安心していたのだが、なぜか残念な事にペンキ屋業界はただいま大変な不景気で仕事が全然ないのである。
更に最近は30歳を越えてくると年齢制限にひっかかりやすくなってきた。
18〜28歳などという非人間的な採用資格がまかり通っている。
この先不安だが、仕方ない。明日の面接で面接官にうまく取り入ってなんとか仕事ができるといいんだが・・・・。
新年早々暗い話題になってしまったが、皆様にとって今年が良い年でありますよう道端にて祈っております。

イマジン

2002年12月31日
神奈川は大船にあるイマジンというお店で昨日やってきた。
JR大船駅から程近いこのお店はスピーカーからブルースが流れるお洒落で小粋なバーであった。
マスター氏の奥さんが横浜でがきおやじのライヴを観て気に入ってくれてCDを買ってくれたのがきっかけでお声がかかったらしい。
嬉しい限りである。
ライヴハウスではなくバーなので、お客さんとの距離感がすごく近くてかなり生々しいステージができる。
俺達にはおおきなステージよりもこういうアットホームなかんじのステージのほうが似合っているのかもしれない。
常連のお客さんたちに囲まれて久々にバーボンウイスキーなんぞ頂いたもんだからしたたかに酔っ払ってしまったが、メチャメチャ気持ちよく演奏できて楽しかった。
お客さんも店のスタッフもマスターもみんなが非常にアットホームで、この先も是非またやってくれと言ってくれたので、お言葉に甘えて定期的にやらせてもらおうかと思っている。
この店は、かの憂歌団の木村さんや内田勘太郎さんとか近藤房之助さんなどブルースの有名人がチョイチョイ出演したりもするらしく、俺たちにとっては申し分のない根城だと言える。
すでに来年1月25日(土)に再度出演が決まったので、興味ある方は是非来てみてくれ。
いや〜っ!いい店見つけたよ!!

事件

2002年12月27日
年末が近づいてくるとTVではドラマやバラエティーのクールが終わって、特番ばっかりになる。
そのなかでも最近目に付くのが”実録犯罪捜査網”とかなんとか銘打った、世界中の過去の事件を掘り起こしてドラマ仕立てにした作りの番組である。
あれは非常に面白い。
実際に外国で起こった刑務所の脱走劇なんかを見てると、よくもまあそこまでやったなあというような、常識では考えられない事が実にたくさん起こっていたようだ。
俺も何か重罪で捕まっちまって死刑を宣告されたりしたら、こういう話を参考にして是非脱走してみようと思っちまうぞ。
外国の昔の話ばかりでなく、日本で最近起こってまだ犯人が捕らえられていないような事件についても、番組内で容疑者の顔写真を公開して情報提供を呼びかけながら放送している番組も最近は多くなってきている。
こういうところで入った情報を元に実際犯人が捕まったというケースはいったい何件ぐらいあるのだろうか。こういう番組はかなり観ているほうだが、放送中に劇的に犯人逮捕というのはまだ見た事がない。
今日も島田紳助が司会の番組でいろいろやっていたが、やはりTV放送ともなるとかなり反響があるらしく、まだ記憶に新しい山口組の宅見組長暗殺事件の容疑者を、つい何分か前に近所のパチンコ屋で目撃したなどという情報が番組宛に寄せられているとか言っていた。
すぐさま警察が確認のため証言のあったパチンコ店に確認に向ったらしい。
タイムアウトで今回も放送中に逮捕には至らなかったが、この証言がもしホントなら逃げてる方も大変である。
最近のパチンコ屋ではTV放送を流しているところも多いので本人がその番組を観てる可能性もないとはいえない。
俺がもしそんな重大事件の犯人なら、そういう番組は必ずチェックしてわざと毎回違う匿名で何度もデマの報告を電話して捜査の攪乱を狙うけどなぁ。
明日か明後日の新聞に容疑者逮捕の記事が載るのであろうか。楽しみではある。

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