日曜日(妖怪編)

2004年4月20日 音楽
日曜はテルと二人で桜木町までひろピーの妖怪ライウ゛と将大氏の弾き語りライウ゛に行ってきた。
妖怪プロジェクトのストリートライウ゛は桜木町の駅前の広場でやっていて、俺たちが現場に着くとちょうどはじまる直前。
ふと見ると髭面にハゲズラ、顔にドウランを塗りたくったひろピーが背を丸めて立っていた。
妖怪小豆洗いである。
あとはカッパと雪女と大入道。
みんなバリバリのメイクでメインVOのカッパちゃんに至ってはピンポンパンのカオタンよろしく全身着ぐるみである。
しかもすべて衣裳は手作りというからすごい。
TVのカメラまで来ていてゴールデンウィーク中にはお台場で大道芸のイベントに出演するらしい。
曲はパロディーが中心でジョニー・B・ーグッドのマイナー版みたいなアレンジの曲には腹を抱えて笑ってしまった。
オーディエンスもどんどん増えて最後にはすごい人垣に。
とにかく楽しいライウ゛であった。
明日はその次に行った将ちゃんのライヴの話。
念願の復活ライヴ華やかに終了いたしました。
来てくれたお客さん、スタッフのみなさん、その他がきおやじを気にかけてくれたすべての皆さんに心から御礼申し上げます。
このライヴをきっかけに、俺たち3人は正式に運命共同体となりました。どうもありがとう!そしてこれからよろしく!!
がきおやじ椅子の反応はちょっとイマイチではあったけど、あれは若いお客さんが多かったのでみんなシャイでほんとは「カッコイイーっ!」て思ってたにもかかわらず恥ずかしくて反応できなかったと、そう思うことに決めまして、これからも俺はヤツに腰掛けながらがなり続けていこうと思います。
さて、これからまず一番はじめにやらねばならんことは新しい音源の制作である。
とにかくこの調子に乗っている今の気合が薄れないうちに、旬の音源を録音したい。
もちろんライヴも平行しながらコンスタントにやり、その他ストリート、TV、ラジオ、プロダクションへのプレゼンとやることは目白押しである。
いまのところ決まっているのは新曲「ヒーローになりたかった少年の唄」をメインにいこうというところまで。
あと2〜3曲入れて前回の「鈍者」のように手売り発売をしようと考えている。
なんと今回のCDの録音エンジニアはなにを隠そう音響学校の専門学生でもあるベースのテル。
いつものようにプロのエンジニアを雇うのとは違って、今回は方向性とか音源のスタンスを100%理解しているメンバーだからこそ出来るようなすごいヤツを作ろうと考えている。
どうか皆さん楽しみにしていておくれ!!

初めて

2004年4月14日 音楽
さあ、とうとう新生がきおやじのライウ゛デビューが秒読みを開始したぜ。
最終チェックもオッケーで、もうあとは本番を待つだけという出来だが、記念すべき初ステージに万全を期すため、あえて本番前日の夜に声は出さず楽器だけのリハをすることまで予定した。
やる気があふれている証拠である。
デビュー戦からかなり長丁場になるから百戦錬磨のひろピーさえ緊張しまくってるぜ。
16日は実は密かに初代がきおやじ椅子の製作発表もかねているので、俺としては練習し抜いた演奏よりも、この椅子についてギャラリーがどう反応するかというところで緊張していたりするのである。
不器用なりにかなり考えて頑張って作ったんよ。
せっかくあんなに頑張ったんだからみんな嘘でも「カッコいいっ!」て言っておくれよ。
あまりに反応が悲惨だったら次のライウ゛からあの椅子使うのをためらってしまいそうでこわい。
せっかくだからぶっ壊れるまでトレードマークとして使いたいのよ。
そういやテルも新しく手に入れたベースでライヴやるの初めてだし、お店も初めてのハコだし今回はマジで「初めて」が多いな。
何によらず「初めて」っつーのが大好きな俺にとってはまさに絶好のシュチエーションなのだ。
初めて俺たちの演奏を聴いてくれるお客さんとの出会いもあるだろう。
そういう人々に「こんなの初めて!」と思わせるようなステージをやってやろうじゃあないですか!
みてろよ!!

大船ストリート

2004年4月11日
久々の路上ゲリラライブは大船駅の周辺を探索することから始まった。俺にとっては半年ぶり、テルにとってはなんと初めてのストリートである。
駅前のいちばんいいところに憎き交番はあるし、ちょっと離れればひと通りが少ないしでなかなか場所決めが難航してしまったが、携帯屋サンの閉まったシャッターの前がまあ妥当なところだということになった。
初めてのテルはかなり緊張している。俺も長いブランクのため緊張していたが、とりあえず勘をとり戻すためにテルがトイレに行ってる隙に一人ギターを掻き鳴らしてみる。
うぁあ。なんか恥ずかしい。いかんいかん。はじめが肝心なんだ。
ここで雰囲気に飲まれたらまずい。開き直り思い切り掻き鳴らす。
「よーし、いけるぜ。」テルがトイレから戻ってきた時にはもうやる気満々の俺がいた。
16日の大船ハニービ-の宣伝用ポスターを真ん中にたてて俺たちは大声で唄いだした。
前をとおり過ぎる人々、立ち止まる奴はだれもいない。それでも唄い続ける。マイクなしの生声がビルに反射して天然のエコーがかかる。
約2時間の演奏中それでも何人かの人が声をかけてくれた。
今回はあくまでも宣伝のためチップ用のギターケースもなしだったが、そんでもお菓子の差し入れやむりやりチップを置いていく人もいたりして、立ち止まらないなりにもまあ、気になった人はそこそこいたんではないか。
ストリートは継続が命だからこれを機会にちょこちょこやろうと思う。

おもちゃのくに

2004年4月6日 日常
ひろピーはマニアだ。
間違いない。
あの部屋に入った瞬間にわかった。
天上からつるされたまだ封の開いていないフィギアの数々。
しかもかなり偏った嗜好である。
ルパンや松田優作、手塚治系統をはじめガンダム系、水木しげる系。しまいにはモー娘まで、男ならある意味一度は興味を持つであろう対象物が所狭しと並んでいた。
彼がかなり欲望に忠実に生きてきた証である。
がきおやじ初呑み大会の会場としてはまさにもってこいの憩いの場。
ひろピーはもちろんテルとも本格的に呑んだことが無かった俺はいきなりこんなおもちゃの国のような部屋で酒呑みながら大好きなバンドの話ができるなんて天国であった。
とにかく音楽や女や人生やその他もろもろについて、いつも無口なテルまでが大声でアツく話をしたのは覚えている。ような気がする。
気はするが気だけである。
とにかく一番覚えているのはひろピーが棚から取り出した一枚のDVDだ。
これは俺の大好きなルパン?世だ。
おお。しかも初期のモンキーパンチの原作単行本そっくりのタッチ。
そしてルパンの声を聞いてクリビツ。
あの名声優故山田康夫氏とは似ても似つかぬ声。
もちろんクリカンでは絶対ない。
画像はだいぶ古いがしかし、かなり作りこまれたストーリー構成。
バックミュージックのいなたいズージャーがまた本格的で泣かせる。
これは。
そう、まだルパン?世がTVに登場する前にTV局やスポンサーへのプレゼン用に作られた幻のVTRだったのだ!!
これはマニア垂涎のレア・アイテムだ!!
テルの持ってきた泡盛の心地よい酔いにぽわーっとしながら眺めるレア画像はまさに至福のときであった。
ヒーローにあこがれ続けたおれの中のヒーロー中のヒーロー。
♪あっし〜もとに〜からみ〜つく〜♪
やばい。思い出しただけでまた酔っ払ってきたぜ。
ひろぴー。
次はクローゼットの中にこっそり並んでいた「ガロ」を読ませてもらうぜ!

がきロゴ

2004年4月2日 日常
がきおやじにはロゴっつーもんがない事に気が付いてしまった。
ステッカーやらグッズやらを作るようなタマでもないから別段気にしてはいなかったんだが、先日のがきおやじ椅子のシートのことをずっと考えていて、ロゴがあったらそれを入れるのが一番妥当な気がしていっそのこと作ってしまえと思い作ってみました。
せっかく作ったから嬉しくってHPにイヤっつーほど貼り付けたので一目瞭然であろう。
相変わらず図画工作が不得意なこの俺様の作なので、もちろんプロが作るようなカッチョいいモンは出来ないが、無い頭をひねったから「一生懸命作りました感」は微妙に出ているのではないか?
まあこんなもんであろうと自分ではそこそこ気に入ってはいるのだが、まだメンバーたちには見せていないのでどういう評価が下りるかはわからん。
あまりに酷評が下った場合にはすべて取り消しになるかも知れん。
しかしこういう芸術というか美術というかそういった作業ってのは、うまくいくいかないに関わらず楽しくて熱中してしまうもんだ。
結局今日一日をコレに捧げてしまったが、それでもなお俺の制作意欲はとどまることを知れず、そんな暇があるなら新しい曲でも書けってことはちょっと置いといて、もっともっといろいろお絵かきして遊びたくなってきてしまった。
前のドラムの勇吾がひまがあると写真やなんかをいじっていたが、その気持ちが俺にもわかってきたぜ。
熱中してこういう遊びをしてるうちにパソコンの知識も結構アップするので、これからもたまにはこういう遊びをしよう。

生活苦

2004年4月1日 日常
仕事がなくて今日も休み。
朝からパソコンオタクと化している。
まったくこのいい天気だっつーのにペンキ屋の営業は何をやっておる!
と言いたいとこだが、この不況。今ごろ営業さんも必死に走り回っているはずなので文句は言えない。
しかし来月からの生活がマジで心配だ。
どこかにお金のなる木はないものか。
インターネットサーフィンをしていると、在宅でぼろ儲けだとか裏バイト募集だとかホントによだれが出てくるような話ばっかりである。
まあそのほとんどが詐欺まがいのインチキ稼業で、登録したりすりゃ逆に大金取られたりするっつーことはこの俺ですらもちろんわかってはいる。
わかってはいるのだが、これだけある話の中にはきっと本物のおいしい話が1つや2つあるんじゃねーかと期待に胸踊らせてしまう。
ねずみ講なんかにしろ、やられて損したヤツの話は良く聞くが、それでもはじめの何人かは確実にこれでもかってくらい儲かってたんだから、俺がそのはじめの何人かになれさえすりゃいい話なんよな。
まあ話がひろがって情報が俺あたりのとこに来る頃にゃもう破綻寸前だっていうのが定説ではあるが、たまたまそういうことをやりだしたばかりでバリバリ儲かってる人にタイミング良く出会えさえすれば、おこぼれにあずかれるかもしれない。
もうそう思うだけで胸はわくわくなのだ。
まったく罰当たりな俺だ。
人をだまして金儲けなんぞしたらいい死に方できねーぜ。
とはいえ、来月の生活費が足りなきゃそれこそ餓死という最悪の死に方だもんな。
誰かイイ話しあったら教えてくれ!こうなりゃ犯罪だろーがなんだろーがやってやるぜ!!

・・・冗談、冗談。今日はエイプリルフールだからね。

椅子の出来

2004年3月31日 日常
俺は小さな頃から図画工作の点数が良くない子だったのだ。
忘れていたぜ。
この仕事待ちの間にがきおやじ椅子を作ってなんとかハニービーまでに間に合わせようと頑張っては見たが、やはり絵の具のパレットがすべて変なドス緑色になっちまうような子だったこの俺に、バランスのいい売り物のようなカッコいい椅子が出来るわきゃなかった・・・
拾ってきた壊れたガットギターのネックをノコギリで切っとばし、それをくっつけてみようとか、昔使ってて壊れたコンパクトエフェクターのカバーをくっつけてみようとか、園芸用の麻糸をぐるぐる巻いてみようとか案はいい感じで、この世に一つしかない俺専用のメッチャかっこいいがきおやじ椅子が頭ン中に輝きまくっていたのであるが、今日丸一日かけてペンキ塗ったりいろいろくっつけたりした椅子を今落ち着いて眺めてみれば、「・・・しょぼっ!」て感じなのだ。
クソーッああそうだよ俺は下手糞だよ!家具職人じゃねーからなっ!!
とにかく作っちまったもんはしょーがねー。
もうとにかく使いまくって汚して味を出すしかねーな。
あとシートだけ張れば一応完成である。
せめてシートは妥協せずにデザインを選ぼう・・・

alc.グルーヴ

2004年3月30日 音楽
昨日のリハはホントに熱いリハだった。
復活ライヴに向けての持ち曲全12曲の音取りはもうだいたいOK。
あとはバンドのグルーヴだけだと思っていたのだが、昨日のリハーサルでガツンとくる瞬間が目に見えて増えてることに気付いた。
ライヴ通りの曲順で通しのリハーサルということもあり、3人とも気分はもう本番という感じでやったのでかなり本気の演奏であったことは間違いないが、この分ならもう心配はないと思えた。
前の日にテルとひろピー(これからこう呼んでね)が酒を酌み交わしつつ交友を深めたのがかなり効いている様な気がした。
こりゃ早く俺も交わって一度飲み明かさないとイカンな。
なんしろ、リハーサルはもう随分な数こなしてきているのにもかかわらずまだ一度も3人そろって酒を呑んだことがないのである。
今までこんなことは初めてだ。
これはちょっとがきおやじの沽券にかかわる問題だぜ。
この雨で桜もハラハラ散ってきている。
花がなくなる前に花見兼ミーティングを企画することもメインヴォーカルたる俺のしごとではなかろーか!
ということで、早速企画しようそうしよう。
なんしろがきおやじのガソリンと言ったら酒しかないわけで、ガス欠しないうちにたっぷり燃料補給して、3人の仲がもっともっと深まっていったらきっと最高のグルーヴが出せるに違いないのである。
ソングラの同窓会は東京の代官山というお洒落な街のとあるライヴバーでしめやかに行われた。
コーロギ氏と久々におち合う約束になっていたのだが、彼は急な仕事が入ってしまったらしく今回はパスということで、一人淋しく2時間遅れで現場に向かった。
9時半頃店につくと懐かしい顔ぶれが集まっていた。
一番はじめに目に付いたのが、相撲部屋のせがれでめちゃ本格的なブラックミュージックを唄うGATS TKB SHOW。
http://www.forlife.co.jp/gats/info.html
彼はメジャーでいまだバリバリやっているらしく話を聞いていてすげーおもしろかったぜ。
他にも見覚えのあるアーティストが何人かいたが、当時からあまりフレンドリーでなかった俺には誰が誰なんだかよくわからなくって、ちょっと話するのに苦労した。
でも、酒が進むうちに山崎まさよしとマブダチで文化放送の”ヤルマン”のジングル作った人の話やら、ヘヴンアーティストという東京の大道芸とかミュージシャンのためのシステムに参加しているバンドの話やら、けっこうおもしろく興味深い話も聞けて、会場の「SLEEPERS」からも今度出演させてくれるような話もあって、まあまずまず身にはなったんではなか。
人数的にはもっと来ているのかと思ったんだが、やはり現役ミュージシャンには忙しく飛び回っている人が多いらしく規模は小さかったが、特にスタッフ達の懐かしい顔に憧憬を覚えた。4年の歳月は思うより長いものである。
みんな口々に近況報告をするのだが、うちのバンドの場合あの番組の後かなりの修羅場だったこともあって、コーロギ君の噂話でずいぶん盛り上がってしまったりして、ヤツはみんなに愛されていたんだなぁとしみじみ思ったぜ。
ひとしきり話したあと、みんな時間がないらしく早めに切り上げて行き、残ったのは終電がなく帰れない俺と前述のGATSとスタッフ3人。
河岸を変え近くの沖縄系の居酒屋で始発の時間まで珍しい海苔焼酎とやらを呑りながらしばし談笑。
GATSはその日大阪で仕事らしく、こんな時間まで付き合って大丈夫なのかと心配だったが少量のアルコールで結局最後までいた。まったく付き合いのいい良いミュージシャンだぜ。
朝4時過ぎ、明けかけた空の下渋谷発の始発電車に揺られながら俺も頑張って唄い続けようと思った。

携帯WEB

2004年3月26日 日常
やっぱ携帯でしょ。
ということで携帯サイトを作ってみました。

きょうもまた雨が朝からパラパラと降っていて、せっかく起きて現場に向かおうと思ったら午後まで天気回復待ちという電話。
昨日から携帯サイトの黒木氏の日記のページだけがなぜかうまく作動しないので、朝からパソコンいじってます。
そういや昨日もこの時間にパソコンやってたなあ。
いつもはだいたい帰ってきてから夜中にやるんだけど、もう最後のほうになってくると眠くて眠くて&必ず酒が入っているから頭が回らず無駄なことばかりでちっとも作業が進まない。
変なエロ系のバナーを間違えてクリックしたり、またそのページが異様におれの劣情を刺激するページでそのまま深い自分探しの旅に出てしまったり・・・
しかし朝パソはシャキッとした頭でやるから的確に作業が進んでなかなかいいもんだね。
チョコチョコッと復旧が完了しましたよ。
まだ昼までには時間があるから、この携帯サイトをいろんな検索エンジンやら音楽系のサイトやらに登録したりしようと思う。
ここんとこ黒木氏もテルも俺もかなりやる気になってきていて、はっきりいって今までで一番自分がバンドにかけている時間が多い。
この調子でずっといこう。
携帯持ってる人はぜひアクセスしてみてね。

大船ブレイク

2004年3月23日 音楽
大船イマジンでのライヴはなかなかの盛況のうちに終わった。
初の大のギターもなかなか堂に入ったもので、違和感無く良いステージが出来たのではないかと思う。
お客さん(うちの母親と同い年)がさしいれに毛蟹とウニを持ってきてくれたりしたもんだから普段貧しい食生活に慣れている俺たちときたらもう貪るように北海の味を食べ尽くした。
新曲「ヒーローになりたかった少年の唄」も今回初披露であったがかなり受けが良く、この分なら次の音源のメイン曲に決定しても問題ないと思えた。
ライヴが一通り終わってからマスター氏が「最近大船でおもしろい店を見つけたから是非紹介したい」と言って俺とテルを夜の繁華街に連れ出した。
ちょうど4月16日の大船ハニービーも控えているので、お店の場所確認もかねて夜の街へ。
イマジンから歩いて10分ほどのところにその変わった店はあった。
「バリばり伝説」と看板にかいてあるその店はほんっとに変わった店であんな雰囲気は東京の「あるとべんり」以来である。
へんてこな名前の由来はなんと本場のバリ料理を作る店だからだということらしいが、フツーは案が出た時点で却下だろう・・・。
しかし、ネーミングとは裏腹にバリの有名レストランと業務提携を結んでいる本格的な店であった。
20人も入ればいっぱいの二段ベッドのようなつくりになったフロア。しかもお客さんの半分は外国人。多分米軍関係者であると思われるが、陽気すぎるほど陽気に酔っ払ったやつらのその雰囲気に圧倒された。
しかも、イマジンのマスター氏はその店のマスターに事前の断りも無くいきなりゲリラライヴをやろうというのである。
しかもステージがないどころか狭い店内にはギター持って座れる場所は細い通路くらいしかない。ちょっと冷や汗が出たが、そこはがきおやじ。気合一発。いきなり唄い始めた。
・・・思ってもみなかった拍手と歓声。意外にいい雰囲気じゃないの?
お客さんからチップをもらいもう一曲とせがまれる。
よっしゃここで新曲だ!
新曲がばっちり決まりまた大喝采。またまたチップの嵐。
ホントに最後だと言い放ち「道端にて」を演奏。
お客さんの一人はホントに気にいってくれたらしく、なんと次に出す予定の新曲の入ったCDの代金を先払いして名刺の住所に出来たらすぐ送ってくれという。これで次のCDのメイン曲は決まった。代金もらった以上出さないわけにはいかないぜ。
その店を出たあともマスター氏は違う店に立ち寄りそこでもゲリラライヴをやってかなりアピールできた。
これから大船の路上でライヴをやろうと思っていたのだが、このぶんならお店回りをしながら路上もやれば結構いい宣伝ができそうな気がする。
大船からブレイクっつーのも悪くねーな。
俺のライヴ専用の椅子を作ろうと思ってからもう何ヶ月たったのかわからんが、忙しさにかまけているうちにすっかり忘れていたぜ。
今んとこ骨組みはすでに完成し、あとクッションのスポンジも手に入れた。
せっかくならふかふかのほうがいいので、スポンジのうえにもう一枚乗っける座布団の薄いやつも手に入れた。
あとシートが汚れないようにカバーする透明なビニールシートもある。
ペンキ塗るのはお手のモンなのですぐにでも出来るからいいとして、あとはそのビニールシートとクッションの間に敷く布なんだが、それがまだないのである。
外見上一番大事になってくる場所なのでなんかいいモノがないかとずっと思ってるんだが、なかなかコレってやつがない。
布屋さんでちょこっと見たりもしたが、既製品ではなんか味が無いような気がして迷って結局何も買わなかった。
なんか写真か絵を入れるという案もあってそれも考えたんだが、うちのバンドの写真なんかじゃあまりにもありきたりだし、影響を受けた憧れのアーティストの写真をケツで踏みながら演奏すんのもなんかなぁ・・・
神様の絵かなんかをいれて「俺はいつも神様を尻に敷いて唄ってんだぜ!」なんてのもオツなもんかと思ったが、罰当たりだと周りにやたら不評なのでしかたなくこれも却下した。
尻の下に敷いたときカッコいい図柄なんつーものは考えてもちょっと出てこない。
しかし、座っていない状態で椅子として見た時には既製品とは一線を隔したかっこいい完成品になってないと作る意味がない。
どうするべきか。
悩むところではあるが、4月16日に控えた「がきおやじ完全復活」までにはなんとか形にしたい。
ああどーしよ。

霊(たま)

2004年3月13日 音楽
中国の女子十二楽坊がはやりだしたと思ったら、最近日本のアーティストの出す新曲の前奏や間奏にやたらとエセ中国音楽風のアレンジが目立つようになった。
俺はこういうのが大嫌いだ。
女子十二楽坊自体は素晴らしい音楽家たちだと思うし、エンターテイメントとしても非常にすぐれていると思うが、二番煎じにあやかろうとする日本のアホ作曲家やくそアレンジャー共の芸のなさにはホントに吐き気がするぜ。
おい!てめーらには自分のスタイルで新しいムーブメントを作り出そうという気概はないのか!
そしてそういう曲が実際売れてしまう現実ってやつにもため息が出る。本物のアーティストたちが馬鹿にされているような気がしてしまうのだ。
思えばコムロの時もツンクの時もそういう輩が出ては消えていったが、まったく情けないぜ。
そんな作曲家から唄をもらったアーティストも可哀相なもんだ。
二番三番煎じに名曲なんてありえないからな。
たとえその場は売れたとしても、きっとすぐ飽きて捨てられるはずだ。そうでなけりゃ本物のアーティストたちが報われないぜ。
俺は言葉に言霊があると言われているように、音楽にも音霊というべきものが絶対にあるはずだと固く信じている。
詩にはやはり詩霊があるし絵には絵霊があるはずだ。
その霊(たま)が腐っているものは絶対に本物には勝てないと思う。
芸術の世界では二番煎じなんて腐った霊を創ることでしかないと思う。
いい作品のおいしいとこをパクるのはもちろん全然ありだと思うが、やつらのスタンスはそういうのとは似て非なるものであり、芸術を志す者としては一刻も早くやつらをギャフンと言わせるような本物の霊を創るしかない。
俺もやったるど!
大のドラムスでの最後のライウ゛だというのに、夕方まで現場でペンキを塗っていた俺はかなり急いで横浜に向かった。
途中工事のガードマンがあの赤く光る棒で俺を呼ぶのでスピードを落とすと、なんと奴は警官でまんまとシートベルトの検問で1点くらってしまった。幸先が悪いぜ。
下駄の鼻緒が切れたようなこの状態にちょっと不安はあったが、やっとハコについて本番が始まり、気合い入れた一発目の新宿ラプソディーでその不安は的中した。
またしてもエフェクタ-からシールドがすっぽ抜けて俺のギターの音がなくなったのだ。やってしまった。
途中で演奏を止めやりなおし。
ちと恥ずかしいが、普段の生活から言い訳には慣れている俺は持ち前の冗舌でなんとかその場を乗り切った。
あとはもう突っ走るだけだ。
トリにもかかわらずお客さんも結構残っていてかなりアピール出来たんではないか。
その証拠に久々にCDが飛ぶように売れた。買ってくれた方ありがと!!帰りみち車ん中で大にこれからのことを聞くと、奴はプロのアーティストのローディーになると言う。
仕事ももう決まっていて、ガクトやらキンキキッズやら長淵剛のローディーとしてもう春から動くらしい。
スゲー話だ。
早いトコがきおやじもビッグになって大をサポートドラマー兼ローディーとして雇えるくらいにならなければ。
ローディーとアーティストはかなり親密になるものなので、奴にはビッグネームとはやく仲良しになって強いコネをつけてもらいたい。
ちょっと調子良すぎるか?
ドラムスの移り変わり中というのはホントに忙しいものだと実感している。
大に叩いてもらうのは明日の横浜B.Bストリートで最後であるが、そのあと19日には大船イマジンで大にギターを弾いてもらうことになっていて、そっちの練習もしなけりゃならない。
黒木氏とのリハーサルも来月16日の大船ハニービーのステージが40分と60分の2ステージ制のため最低でも12〜13曲覚えなきゃならんから週2日のペースでこなしている。
あとは花屋のえりちゃんと組んだユニットもそろそろ始動しはじめたし、そんなときに限ってなぜだかペンキ屋稼業もやたらと忙しい。
贅沢な悩みではあるが、雨でも降って一日ゆっくり休みたい。
睡眠不足が祟って体調がいまいちよくないのだ。
今はペンキ屋の現場に向かう車の中だが、厚木市内の大渋滞に巻き込まれながらチンタラ走っていると信号待ちなんかで不意に意識が遠い国に旅立ってしまいそうになる。
眠い。
現場に8:30の約束がすでに8:32を回っている。
遅刻だ。
いかんなぁ。
これは朝の遅れを取り戻すためにまた夜遅くまで仕事する羽目になるぞ。
そうすっと帰りが遅くなり従って寝るのも遅くなり、睡眠時間は短くなり次の日また寝坊で遅刻と。
悪循環
。今の仕事は外仕事だから雨でも降ってくれたら休みになるんだが、週間予報には傘マークがまったくなし。
お百姓さんも俺も恵みの雨を待ってるぜ。降れ降れ坊主でも作ろうかな。

ソングラ同窓会

2004年3月8日 日常
がきおやじがテレビ東京系の音楽番組ソングラ天国に出演していたのはもう4年も前のことになる。
あの頃俺はまだ茨城に住んでいた。
あの番組では結構いろんなところに行かせてもらっていろんな人たちに会い、俺はすごく勉強させてもらったのだが、せっかく自分のバンドがメディアに乗るというのに 、がきおやじにはまだホームページすらなく、せっかくの大宣伝をうまく活用出来なかったのは未だにくやしい限りである。
あのあと一年くらい経ってホームページをつくったが、それでも全国からかなりの反響があったのだから、出演してるときにちゃんとあったならもう少しお客さんも増えていたであろう。
そう思うとくやしいのだ。
さて先日、その番組を制作していた某制作会社のスタッフからメールがきた。
その人はすでにその会社を辞めて違うところで働いているらしいのだが、当時の出演バンドを集めて同窓会をやりたいというのだ。
スケジュールはかなりタイトなんだが、せっかくなので参加しようと思う。
聞けばその時の主要出演アーティストの一人が今年になって亡くなったらしいのだ。
彼とは親しくしていたわけではないが、顔は何度か見ている。悲しい話だが、彼のためにも残った俺たちは頑張ろう。
あの番組に出てたバンドはどれも本気でいいバンドばかりだったし、スタッフたちも情熱あふれるやつらばかりだった。
今のところ大ヒットを飛ばした話は聞かないが、茶番をはじめKABだとかスムースエースだとかかなり業界でやってるやつらもいるので、そういう話も聞いてみたい。
とりあえずコーロギ君を誘ったら行くと言ってくれたので、一緒に懐かしい話をしてこよう。

死刑

2004年3月3日 日常
地下鉄サリン事件の裁判やってましたな。
今頃麻原が死刑ってか。
まったく何年やってんだろな。
人殺しするときは2〜3人殺すんなら、もっと大量に殺せば捕まっても長く生き延びられるっつーことだな。
俺もなんかの都合で人殺ししなくちゃならん時には出来るだけいろんな場所でたくさん殺そう。
サリン事件のあの日、俺はまだ某赤帽の運ちゃんやってて、たまたま霞が関あたりに配達に行っていた。
いきなりまわりの道路が全部通行止めになって、おびただしい数のパトカーやら消防車やら救急車がやってきて、地下鉄の出口付近でとおせんぼをくらっていた俺は、その一部始終を見ていたが、現場の光景は壮絶なものであった。
担架に乗せられて何人もの人が運ばれて行くのを呆気にとられて見ていたのを覚えている。
その中にはサリン中毒で死んでしまった人もいただろう。
霞が関あたりに勤めているいわば上流労働者をあれだけ殺したことは国にとっても大損害である。
裁判やらなんやらで奴がこんなに長い期間生き延びたということは、死んでしまった人たちの家族にとってはあまりに納得できない仕打ちだ。こんなことなら警察につかまる前に殺してやりたかったと誰もが思うだろう。
この先奴の命がどれくらいあるのかしらないが、簡単に死んで終わりにはしたくない。
死刑よりもっと長く苦しむ極刑を整備するべきだと思う。
奴には少なくとも、死んでしまった人とその家族が受けた苦しみの分だけは痛い目にあってもらいたい。
ビジュアルアーツという専門学校でのライヴ授業はなんというか、いままでにやったことのない刺激的なものであった。
まず建物がかなりでかい。音響だけでなく、ミュージシャン学科やら俳優の養成所やら写真や彫刻まであり、なんと学校が経営するインディーズレーベルまであるという。
挨拶に来た担任の大沢先生はかろうじて俺より歳上の36才元メタル系バンドマンで、埼玉は熊谷ボーグの元PAでもあったのでとっつき易く少し安心したが、あとは見渡すかぎり10代の若者たちばかり。
完全に俺等は浮いている。
しかし差し入れの弁当もらったりしてるうちになんとなく場の雰囲気にも慣れてきた。テルや大はこういうところで毎日勉強してんのかと思うとなんだか羨ましかったぜ。俺も一度こんな学校に通ってみたいと思った。
ステージのある部屋はまるでライウ゛ハウスのような作りになっていて、入り口の壁にはいろんなポスターやらチラシガ目一杯貼られている。キャパはスタンディングで50人程度だが、地方のライウ゛ハウスなんてこんなもんだ。実際ここでたまにライウ゛もやるらしい。実にいい環境である。
中ではテルや大のクラスの生徒たちが音響機材のセッティングに追われていた。全5曲の演奏予定だが、一曲一曲入念なリハが行なわれる。リハと本番合わせて2回づつ演奏するため、計10曲分演奏することになる。しかも生徒たちは機材に触るのは初めてらしくなにするにも時間がかかる。
演奏がすべて終わるまでに5時間がかかった。
ライヴというよりは全編リハーサルという感じの変わった体験であった。
生徒の反応は授業ということもあってか堅かったが、先生だけはかなり
気に入ってくれたらしく、プライベートでライヴを手伝ってくれるとまで言ってくれた。
違うバンドの音作りをテルがやってるのも見させてもらったが、奴は音響よりミュージシャンのほうがあってるな(笑)
いつかこの生徒たちとライヴハウスやコンサートホールで会えることがあるかも知れない。
頑張れ!若者たち。俺も頑張る。

初音合わせ

2004年2月19日
黒木弘志氏との初音合わせはいつものスタジオ月桃荘で行なわれた。
俺がチョイと遅れて到着するとすでに初対面のテルと二人でなにやら話をしている様子。歳の差なんと20才のジェネレーション・ギャップを密かに心配していた俺ではあったが、まあ一安心というところか。
まだ音源も彼に渡せていなかったので早速CDを渡し、音合わせを開始。
曲も知らず譜面すらない状態で、いきなりバンドの曲ってのもなんなのでやはりジャム・セッションしたいのだが、そう言うとテルは不安そうな顔をした。
しかし、ここが勉強のしどころとばかり、「この間ブルースのコード進行教えたじゃんか。適当、適当!」とか言いながら無理矢理ジャムに引きずりこんだ。黒木氏のドラムは、さすがは飯喰ってただけあって安定感はあるし、要所要所で面白いオカズは入るしで俺は楽しくてしょーがない。テルだけが相変わらず不安そうな顔のまま、小さな音でおっかなびっくり弾いていた。
2パターンくらいやって体があたたまっところで、いざがきおやじの曲へ。いきなり新宿ラプソディーで曲を知らない黒木氏は跳ねた16ビートを叩きだした。
いままでに聴いたことのない曲になった。
彼のリズムはなにをやってもかなり特徴のあるリズムでテルがそれについていくには譜割りというか一つ一つの音の長さをきっちり意識しないと難しい。頑張ってくれよ。
2時間のリハが終わりラストに話をきくと、結構いい反応。とくにテルのベースを誉めていた。せっかくなのでとりあえず4月16に決まった大船ハニービーのライウ゛をてつだってもらうことにした。
まだ日にちはあるが、曲を覚えた黒木氏がどうなるか楽しみだ。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索